2002年サッカー・ワールドカップ大会を韓国と日本が共同開催することが決まった1996年5月以降、韓国と日本の間には前向きな変化が現れはじめた。ソウルとプサン(釜山)の町並みには日本の若者の姿があふれ、日本文化の受け入れも大きな滞りなく進められてきた。
日本でも韓国の熱い風が吹いた。米国の時事週刊誌「ニューズウィーク」が最近「日本の中の韓国」というカバーストーリーを通じて、日本の若者たちの間で韓国の歌謡曲や映画が大変人気を呼ぶなど韓国ものが流行る現象を取り上げたくらいだ。
そんな中、最近2002年ワールドカップ大会の名称を巡って論争が起こったことに次いで、今回は日本歴史教科書の歪曲問題が発生し、暗澹たる気持ちを落ち着かせることができない。
日本は教科書の内容を修正することは政府の責任ではないと主張しているが、教科書に対する日本政府の検定を通らないと正式の教科書として採択されないにもかかわらず、日本政府の責任ではないと主張するのはなんとも理不尽な態度だ。
問題の教科書を作った張本人たちは敗戦後の自虐的史観から抜け出す試みだと主張している。しかし自虐から抜け出す最もよい方法は事実をありのまま受け止め、認めることだと思う。
私は1988年に国会で日本軍慰安婦問題を取り上げながら、軍慰安婦だった白田という日本人女性が南方戦線で敗戦を迎えたが、当時韓国の女性たちがみなトラックで連れ去られ、ジャングルで銃声が聞こえてからは彼女たちの姿を二度と見ることはできなかった、と証言したマスコミの報道を紹介した。
この女性の目撃が事実なら、日本軍のこのような行為は敗戦で交戦権を失った後に行われたことであり、一般的な戦争犯罪とはレベルの異なる重大な犯罪行為だ。不幸にもこの女性は通っていた教会の牧師にこうしたことを告白して間もなく世を去った。
日本が真に過去の歴史について反省しようとするなら、この女性が証言した内容のような数多い事件に対し証拠が隠滅されることばかりを期待せず、今からでも事件に関連した生存者が自ら罪を明かし懺悔する真の勇気を見せるべきである。
日本の真珠湾奇襲50周年になる1991年、米国はハワイで日本人も招待した中戦没勇士に対する追悼式を盛大に行う予定だった。しかし日本は反対を表明し、総理は参加を断った。
1995年ロシア・モスクワでは米国大統領やヨーロッパの首脳たちが一堂に会し、第2次世界大戦終戦50周年の意味と教訓を考える式典が行われた。この式典でドイツのコール首相が50年ぶりに勝戦国の首脳らと公式な場で席を共にできたのはドイツの多大な努力があったからだ。日本は1995年には広島と長崎に原爆が落ちたことに対してクリントン米大統領に直接謝ることを要求したが、クリントン大統領はこれを丁重に断った。
こうした例を見れば、太平洋戦争や真珠湾奇襲が米国の陰謀によって誘引されたという一部の日本学者の主張が、今回の日本歴史教科書問題をきっかけに日本人の間に根を下ろすのではないか憂慮せざるをえない。我々が懸念しているのは、「戦争を起こしたことが悪かったのではなく、戦争に負けたことが悪い」という力の哲学への回帰だ。
日本の理解の無さや妄言に対してこちらが感情的に興奮することはないが、理性的に憤ることは必ず必要でありこれは外交政策に反映されるべきだ。
「韓日関係にひびが入ってはならない」という論理が韓国の対日外交の弱点と負担になってはいけない。
ドイツの詩人ノバリスは「部分的な歴史は決してありえない。どんな歴史も世界史であるべきだ」と言った。日本は歴史を再構成しようとする無駄な努力など捨て、世界史の見地から過去を認める勇気を見せてほしいものだ。
2002年5月31日ソウルで開かれるワールドカップの開幕式には日本、中国などアジア諸国の首脳がみな参加し、和解の手と手を取り合ってアジアの平和なる時代の到来を確認する場となることを期待する。