「現代の大衆は群衆にも公衆にもなり得る」
政治学の概論書に出る言葉だ。
群衆は、衝動的で自分の主張を持たず他人の意見で動きやすく、盲目的な感情にとらわれやすい。一方、公衆は、理性的な判断能力を持っており、健全な世論形成の主体になることができるという。インターネット世界の大衆と言えるネチズンはどこに属するだろうか。
◆無差別的な人身攻撃などインターネットによって個人の人格権が侵害されることがますます頻繁になっている。匿名の下で攻撃に出ると、公人であれ一般人であれ、打つ手がない。ネチズンが政治領域に及ぼす影響力も大きくなった。ヨルリン・ウリ党とハンナラ党のホームページは少数「党員掲示板のネチズン」の文章でほぼ占領された。政策の決定と「インターネット世論」間の相関関係がますます明らかになっているという報告もある。
◆ネチズンの一方的な世論攻撃に対して「ネッカーシズム」という用語も登場した。「ネチズン」と「マッカーシズム」を合わせた造語だ。マッカーシズムは1950年代に米国を襲った共産主義者狩りを指す言葉で、当時、上院議員マッカーシーが主導した魔女狩りによって罪のない人々が恐怖に怯えた。ネチズンの根拠のない人身攻撃はマッカーシズムと似ているところがある。ネチズンが憎い人への攻撃を「聖地巡礼」と呼ぶというのには毒気さえ感じられる。
◆李海瓚(イ・へチャン)国務総理は数日前「インターネットで匿名性を保障する分野と実名を伴わなければならない分野に分けなければならない」とし、インターネットの実名制を検討すると明らかにした。ヤフーの最近調査でも実名制への賛成率が79%で、反対の20%よりはるかに多かった。実名制が導入されれば根拠のない悪口と誹謗はかなり減るだろう。しかし、表現の自由が萎縮し、個人情報が流出する危険性もある。一部「インターネット群衆」が全体の水を濁した結果だ。これを自業自得と言えば、良識のある「インターネット公衆」はあまりにも悔しいのではないか。
宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com