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みずから築き、みずから壊した燦爛たる文明

みずから築き、みずから壊した燦爛たる文明

Posted November. 05, 2005 03:02,   

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世界で最も遠く離れた有人島、イースター島。

南太平洋にあるこの島で発見された巨大な石像と石段の跡は、見る人を圧倒する。最大の石像の高さは21.3メートル、重さ270トン。いまだに欧州人たちは、未開なポリネシア人たちがこの石像を建てたという事実を信じることができない。

イースター島は、森林破壊の極端な例を示している。900年頃、人間が渡来した直後から森林が破壊され始め、探険家ロゲベンが初めてこの地に上陸した1722年にはすっかり終わった。彼は人の背たけをこえる木を見ることはなかった。

森林が消えて、自然から恵まれていた食糧資源も消えた。木や鳥から何も得ることができなかったし、海に出るカヌーさえ作ることができなかった。鳥も姿を消した。その影響は残酷だった。飢えのために争いが絶えず、人口は激減した。1774年に「クック船長」がこの地に着いた時、海岸には空き家の跡しかなかった。

野生動物が消えると、島の人たちは身近にいる食糧資源に目を向け始めた。それはほかでもない、人間だった。人間の遺骨は、墓でばかり発見されたわけではない。後にはごみ捨て場でも発見された。骨髄を吸い取ったのだろうか。割れた骨まである。

イースター島の口承説話のうち、もっともひどい悪口は、「おまえの母親の肉を私が噛んで食べてやる」だった。

足跡のみを残して、はかなく消えた文明の記憶ほど、私たちを不安にさせるものがあろうか。いつか私たちもこんな運命を迎えるのではないか。未来の観光客たちは、骨組みだけ残ったニューヨークの摩天桜を見守るのではないか。

進化生物学と生物地理学の世界的な権威者である著者は、文明崩壊の生態的脈絡を分析して、文明を没落させた災いの基本的なパターンを5種にまとめる。環境破壊と気候の変化、敵対的な隣人、友好的だが不安定な貿易相手、そして環境問題に対する社会の対応。

イースター島の没落は、完全に生態的な崩壊だった。資源の行き過ぎた開発でみずから崩壊を招いたのだ。この離れ島には敵対的な隣人も、いかなる気候の変化もなかった。

マヤ文明の崩壊もこの島の二の舞を演じた。人口過剰とこれによる環境破壊が1次的な要因だった。マヤは今日、ルワンダとハイチが抱いているジレンマに陥った。多すぎる農民が、広すぎる土地に、多すぎる穀物を栽培していたのだ。人口と資源の不一致は山林破壊、土壌の浸食と流失にながったし、食糧不足は戦争を呼んだ。「マヤとイースター島の崩壊は、すでにロマンチックなミステリーではない」。

著者は、遠い昔の原住民たちが環境を尊重し生態的に豊富な知恵をもって暮らしたという「エデンの郷愁にひたる」意見に同意しない。「異民族が攻めてくる前に、彼らはすでに没落していた」。

ところで、どうして一部の社会だけが崩壊したのか。ノルウェー領のグリーンランドにはノルウェー人たちと原住民がともに居住したのに、原住民社会だけが生き残った。なぜか。

バイキングの後裔たちは欧州の生活様式に固執しており、凍土での生存に必要な暮らしの知恵を最後まで拒否して結局は飢え死にした。「いくら厳しい環境でも、崩壊は必然的なものではない。それは社会の選択にかかっている」。

現代世界にも災いは続いている。ソマリアとルワンダでは崩壊の兆しが具体的に現れている。ルワンダはマルサスが「人口論」で予見した災いを目の前にそのまま繰り広げて見せてくれる。先進国に向けて疾走する第3世界の巨人、中国の環境問題と経済は世界の「雷管」だ。

米国さえも、安全とはいえない。映画『流れる川のように』の美しい背景となったモンタナ州は、米国で最も豊かな地域だったが、環境問題の重みに耐えず、最も貧しい地域へと転落した。

過去と現代の文明社会を振り返る長い道程を終えて、著者は読者たちに問う。

イースター島で最後の木を伐った人はどんなことを考えただろうか。かえりみるとき、私たちにはあまりにも明確にみえる危険が、彼らにはどうして見えなかったのだろうか。

原題「Collapse:How Societies Choose to Fail or Succeed」(2004年)。



keywoo@donga.com