米軍がベトナム戦争で使ったナパーム弾の威力は、一枚の写真で世界中に知れ渡った。1972年、ベトナムの少女キム・フックが、重度のやけどを負って、泣き叫びながら走っている場面。戦争の苦痛と惨状を生々しく映し出した同写真は、ピューリッツァ賞を受賞した。「ナパーム弾に当たれば、肉が溶ける。顔から胸の上まで溶けてくっつく。皮膚が腐り始めれば、えぐり出さなければならない。切り取れない部分は頭だけの場合もある」と、米国記者は記録している。
◆ベトナムのクチトンネルに入ったことのある人は、驚くことだろう。ベトコンが、米軍に対抗するために、総延長200キロにわたるアリの巣のような地下要塞を手で掘ったのだ。人の体がやっと通れるほどのトンネルの中では、「閉所恐怖」に震え上がる。ベトコンは、このまっ暗で窮屈な地下に、武器庫、寝室、台所をつくり、要塞を築いた。そのようにして20年間堪え続け、1975年、遂に戦争に勝った。
◆ベトナム人約150万人、米軍約6万人が死んだ戦争だった。米軍が撒いた枯葉剤と除草剤などの化学兵器は、子どもや孫の代まで、災いになっている。にもかかわらずベトナムは今日、米国と手を取り合うことをためらわない。1995年に国交正常化し、昨年はファン・バン・カイ首相がワシントンに行って、首脳会談を開いた。対米輸出が年間60億ドルを超え、戦時行方不明の米兵遺骨捜索を助けるという条件で、最恵国待遇を求めている。
◆軍事協力パートナーになることも厭わない。中国を牽制しなければならないという両国の計算が、現代版「呉越同舟」に向かっている。偶然にも、戦争終盤に米国防長官だったラムズフェルドが30年が経った今、再び米国防長官となり、ベトナムの国防長官と会談して、「軍事協力を強化する」と発表した。実に混乱する「以徳報怨」である。恨みを徳で返すことは、慈悲の心によるものではない。まさに現実的で避けられない実利の選択だ。永遠の敵も同志もいない国際関係である。
金忠植(キム・チュンシク)論説委員 skim@donga.com