日本植民支配期、韓国人は高等教育を受けても、仕事を得ることは難しかった。植民支配を受ける民族が、主流社会に進入困難なことは、他の植民地国家でも同様だった。進路が源泉封鎖された知識人たちは、体制転覆を夢見るアウトサイダーとして残り、社会主義に目を向けるケースが多かった。韓国で、労働者階級ではない知識人が社会主義を主導してきた歴史的背景もそこにある。
◆光復(クァンボク=日本植民地支配からの独立)後、冷戦時代が始まると、韓国では社会主義が根を張ることができなかった。社会主義研究は、制限的資料だけで密かに行なわれた。反共体制に慣れた国民は、社会主義に漠然とした敵対感を抱くだけで、具体的な内容は知らなかった。社会主義が検証を受ける機会がなかったのだ。1980年以降になって左派運動が流行のように広がり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が誕生した。これも知識人が主導した。
◆韓国の左派は、現実認識が不十分だという評価を受ける。切実な現実認識に足を踏み込まなかった左派運動は、概して誰が理論的に完璧かをめぐり、主導権争いをするのが常だ。どのようにすれば民生に利益になるのか、グローバル化・情報化のような外部変化にどのように対応すべきかなどは、副次的な問題として追いやられるのがおちだ。硬直した理念主義に突き進んでしまうのである。政権386たちが、現実と乖離した政策を推し進め失敗があらわになったのに、「正しいと確信する」と叫ぶのも、これと無関係ではない。
◆左派知識人たちが盧政権支持を撤回する傾向が広がっているという。中道知識人が政権の無能さに背を向けるのは、おかしなことではないが、左派は少し違う。彼らは、盧政権になぜもっと左派的な政策をしないのかと叱咤する。しかし、彼らが底辺の庶民の苦痛を推し量ろうとしたという話は聞いたことがない。新聞法に、「市場支配的事業者」条項を入れるべきだと強要したも同然の一部左派が、この条項に対する「違憲」決定が出た後、謝罪や反省をしたという情報も聞いていない。化石化した左派、代案を出せない左派は、ますます孤立するだけだ。
洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com