映画『韓半島』で、「高宗(コジョン)が隠していた国璽がある」と主張し、学界で「無視」される国史学者の役に扮したチョ・ゼヒョン氏は、周囲の人々に、「10月8日が何の日かも知らない」と言い、毒舌を浴びせる。1895年のこの日は、明成(ミョンソン)皇后が、日本人に殺害された日だ。隣国の王宮に刺客を送り、王妃を惨殺し遺体を陵辱した事件は、世界の歴史の中でも見当たらない。同事件は、韓国にとって今でも癒されることのない痛みだが、日本には「存在しない歴史」のようになっている。
◆作戦名は「狐狩り」だった。日本は、同事件を政府と無関係な極右派の仕業にしようとしたが、日本の三浦梧樓公使が加担した犯罪だったことが、外交文書で後に明らかになる。崔文衡(チェ・ムンヒョン)漢陽(ハンヤン)大学名誉教授は、三浦は従犯で、主犯は三浦の前任者の井上馨公使だとみている。井上馨は、外相と内相を務め、「朝鮮問題」に関する専決権を与えられた人物だ。結局、殺害事件は、日本政府が主導した国家的犯罪だった。
◆日本専門家の李ジョンガク氏が最近、「刺客・高永根(コ・ヨングン)の明成皇后復讐記」(東亜日報社刊行)を出版した。著者は、日本に情報を売り渡し、明成皇后の殺害を助けた朝鮮の訓練隊大隊長・禹範善(ウ・ボムソン)と、彼を殺害した刺客の高永根の行動を追跡し、歴史の因果応報を示した。閔氏家の召使い出身で、明成皇后の寵愛を受けていた高永根は、日本に逃れ、日本人女性と結婚し暮していた禹範善を殺害し、逮捕される。高宗皇帝は、様々な外交チャンネルを通じ、高永根の善処を求め、彼は約5年の投獄で、韓国に戻ってきた。その後、高宗皇帝と明成皇后が埋葬された洪陵を守る陵参奉になる。
◆日本の朝日テレビは、明成皇后殺害事件と犯人の子孫が、約100年ぶりに韓国を訪れ謝罪する姿を取材した特集ニュースを24日の「報道ステーション」で、14分間放送した。ドキュメンタリーでも、明成皇后殺害事件が日本のメディアに登場したことは意味のあることだ。ミュージカル「明成皇后」を製作したエイコムは、数回日本への進出を模索したが、日本の極右勢力の妨害が予想されるという理由で、実現しなかった。韓日間の歴史認識の差を縮めることは、事実を知ることから出発する。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com