1931年7月、慶尚南道晉陽郡智水面(キョンサンナムド・ジンヤングン・ジスミョン)で消費者共同組合の仕事をしていた24歳の青年が、慶尚南道晉州市(チンジュシ)の中央(チュンアン)市場で呉服店を開いた。主に絹を販売していた青年は、隣の商店に出入りする女性から、いわゆる「顧客の声」に耳を傾け始めた。
「夏に、絹製の服をまとっていたら暑くて我慢できませんよ。冬向け生地と夏向け生地が別々にあればいいのに」、「絹の絵柄は余りにも単純な上、種類も限られていますね」。
消費者の声に耳を傾けていた青年は、季節ごとにさまざまな厚さの絹や生地を用意し、さまざまな柄で染色した商品を発売した結果、大成功を収めた。
青年はほかならぬLGグループを設立した創業主の故具仁會(ク・インフェ)会長(1907〜1969)だ。LGグループの「顧客満足経営」は、すでにグループ創立前から、LG家の経営哲学として位置づけられていたのだ。
LGグループが27日で、創立63周年を迎えた。呉服屋で成功した具仁會会長は1945年、釜山(プサン)に場所を移し、化粧品販売業に乗り出し、1947年、今のLG化学の前身であるラッキー化学工業社を設立して、直接、化粧品を生産を開始した。創業資金を出した故ホ・マンジョン氏は、具会長の姻戚(具会長の義理の父親の従兄弟)であり、許昌秀(ホ・チャンス)現LGグループ会長の祖父だ。
ラッキー化学の「ラッキー印クリーム」は品質がよいという口コミが広がり、飛ぶように売れた。1952年、生産を開始したプラスチック製櫛も大成功した。1955年は国内初の歯磨きである「ラッキー歯磨き粉」を生産し、企業規模は日増しに膨らんだ。
具仁會会長は当時、経営陣の一部から、「ラッキー歯磨き粉の市場シェアは高いのにそれほど利益が出ない、安価な原料を使って利益を上げるべきだ」という意見が出ると、「利益が少なくてもいいから、奉仕するという姿勢でやれば、そのうちラッキーへの信頼は消費者の頭の中に焼き付き、結局それこそ我々の利益につながる」と反対した。具本茂(ク・ボンム)現グループ会長が強調する、「顧客価値」と一脈通ずるくだりである。
具仁會会長は1958年、電子メーカー「金星(クムソン)社」を設立し、新しい事業に進出した。1959年は国産のラジオを、1966年は国産の白黒テレビを作り、金星社は韓国を代表する家電メーカーへと跳躍した。現在、LGグループの「2大柱」であるLG化学とLG電子はこうした始まった。
LGグループは、韓国産業界に「初」という道しるべをいくつも作った。1957年、ラッキー化学による公開採用は、それまで血縁や地縁などの縁故中心の採用慣例を破った初の「公開採用」だった。大学に推薦を依頼し、客観的に優秀な人材を採用する方式は、その後、ほかの企業の人材採用に大きな影響を及ぼした。
ラッキー化学はまた、民間企業としては初めて、一般を対象に企業公開を行った。1969年10月、8億ウォン規模の新株を発行し、1500人あまりの新株主を迎え入れた。
資本金300万ウォンでスタートしたラッキー化学工業社は、1年後に3億ウォンの売り上げを上げた。2代目会長の具滋暻(ク・ジャギョン)名誉会長を経て、現在の具本茂会長にいたり、LGグループの資本金は昨年末現在7兆4000億ウォンと、247万倍に膨らんだ。売上高も昨年に125兆ウォンと41万倍以上成長した。創業当時、20人あまりだった従業員は、国内外を含め18万6000人へと増えた。
具本茂会長は、LGグループを「未来の変化を主導する企業」へと生まれ変わらせる作業を行っている。果敢な投資や雇用拡大によって未来市場を先取りし、100年を越える永続企業へと引き続き成長させるというのが、具会長の狙いだ。
これに向けLGグループは今年、創立以後史上最大規模の15兆ウォンを投資することを決めた。施設投資に11兆3000億ウォン、研究開発(R&D)に3兆7000億ウォンをつぎ込む計画だ。LG電子の次世代携帯電話や3Dテレビ技術、LGディスプレーの能動型有機発光ダイオード(AMOLED)や3Dパネル、電子ペーパー技術、LG化学の次世代バッテリー技術などが、LGグループが集中投資している分野だ。
具本茂会長は今年の仕事始めで、「5年から10年先を見据えて、事業の勢力図を変える基盤技術を育成していかなければならない」とし、「新しい分野でもさまざまな事業チャンスを検討し、うまく推進できる可能性が確認されれば、果敢に投資し、人材も確保せよ」と強調した。
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