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[オピニオン]ジャンヌ・ダルク・マーケティング

[オピニオン]ジャンヌ・ダルク・マーケティング

Posted January. 07, 2012 07:23,   

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学歴詐称の波紋を起こしたシン・ジョンア氏のeメールのIDは、「shindarc」だった。フランスを危機から救ったジャンヌ・ダルクと自分の名前を合成し、韓国美術界の救援者を自任するかのようだ。弾劾逆風で沈没直前だったハンナラ党が、04年の総選挙と補欠選挙で起死回生し、当時テントの党事務所を率いた朴槿恵(パク・グンヘ)代表には、「パクダルク」というニックネームがついた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が次世代の大統領候補に選んだ秋美愛((チュ・ミエ)民主党議員は、しっかりした性格のため「チュダルク」と呼ばれた。秋議員は97年の大統領選挙の時、故郷の大邱(テグ)で金大中(キム・デジュン)候補を支援するために「ジャンヌ・ダルク遊説団」を組織したこともある。

◆韓国でもしばしば活用されるジャンヌ・ダルクが、本場フランスで輝かしい光を放つのは当然と言えば当然のことだ。4月に大統領選挙を控えたフランス右派の候補たちが「ジャンヌ・ダルク・マーケティング」をしている。極右政党の国民戦線のマリーヌ・ルペン代表は、ジャンヌ・ダルク誕生600周年の今日、パリのジャンヌ・ダルクの銅像の前で盛大な祝賀集会を開く。これに負けじと、与党・民衆運動連合のサルコジ大統領も、ジャンヌ・ダルクが生まれた村で開かれる記念行事に参加する。

◆支持率2位のサルコジ大統領は、3位のルペン代表が迫ってきているので、焦りを見せている。財政危機と大統領選挙戦の資金スキャンダルで、サルコジ大統領の支持率は急落した。一方、ルペン代表は父親のジャン=マリー・ルペンの元祖極右路線から脱皮し、「柔軟な保守」戦略で点数を得ている。左派陣営のフランソワ・オランド社会党候補は、支持率1位でゆったりと右派の内部争いを楽しんでいる。左派と右派は、1789年のフランス革命後、急進派ジャコバン党が議会の左側に、穏健派ジロンド党が右側に座ったことに由来する。15世紀の人物であるジャンヌ・ダルクには左右の概念すらなかっただろう。

◆勇猛な戦士のイメージとは違って、ジャンヌ・ダルクは法廷で「矛と盾を振り回すよりも、主に旗を掲げて兵士を励ました」と述べた。ジャンヌ・ダルクを素材にした美術作品にも、戦闘の場面よりも美しい姿を描いたものが多い。ジャンヌ・ダルクを魔女と責めて処刑したことは、「女の分際で」神の啓示で戦場に出て行ったと言ったジャンヌ・ダルクを不届き者と思ったようだ。ジャンヌ・ダルクのおかげでフランス王になったシャルル7世は、彼女を助けることもできたが、結局、見捨ててしまった。ジャンヌ・ダルクがあまりにも偉大になったためだ。あの時も今も、偉人は偏見と裏切りの犠牲者になりやすいのか。

李亨三(イ・ヒョンサム)論説委員 hans@donga.com