特使外交の妙味は、既存外交のチャンネルでは解くことができない難題を一気に政治的に解決する破壊力にある。米国と中国の国交正常化を引き出し、世界史の流れを変えた1971年のキッシンジャーの特使外交が代表的だ。彼の最初の中国訪問はパキスタンを通じた密行だった。米国は、中ソ紛争の隙を巧妙に利用して米中間の和解ムードをつくる特殊任務が公になることは避けたかった。
◆過去の南北関係では密使が不文律だった。72年の7・4南北共同声明を成功させた李厚洛(イ・フラク)中央情報部長が青酸カリを手に握って板門店(パンムンジョム)を越えたことは有名なエピソードだ。80年代後半、20回余り北朝鮮を往来したパク・チョルオン大統領政策補佐官は後日「平壌(ピョンヤン)に行くたびに遺書を書いた」と打ち明けた。ソ・ドングォン国家安全企画部長は90年9月、北朝鮮で金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)親子と同時に会談する記録を残し、00年に朴智元(パク・チウォン)文化観光部長官は、巨額を北朝鮮に渡したおかげか、初めて南北首脳会談を実現させた。
◆しかし、特使外交が万病に効く薬ではない。就任後、北朝鮮強硬路線を堅持したブッシュ大統領は、02年10月にジェームズ・ケリー次官補を特使として送り、北朝鮮との対話を引き出そうとした。しかし、北朝鮮はむしろウラン濃縮の事実を認め、米朝関係を破綻に追いやった。焦った金大中政府が03年1月に送った特使も失敗に終わった。金大中政府の特使であり、事実上盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領当選者の特使だったイム・ドンウォン大統領外交安保特別補佐は、李鍾奭(イ・ジョンソク)大統領職引き継ぎ委員を同行し、3日間平壌に滞在したが、金正日総書記は彼らに会わなかった。
◆来年2月に就任する朴槿恵(パク・クンヘ)氏としては、オバマ政府2期目を迎えた米国だけでなく、新政権が発足した中国、日本と外交関係を順調に再構築することが重要な課題だ。権力交代期という共通点があるため、朴氏の意中を正確に伝える特使を通じて第一ボタンをしっかりかけることができるなら、錦上に花を添えることになる。ただ、4強に特使を派遣するといった常識的な答案よりも、懸案の優先順位と戦略的目標の分析を先にすることが必要だ。就任前に朴氏にいきなり特使派遣を提案し、事実上「突き返された」日本の安倍首相の姿は焦っているようにみえる。
ハ・テウォン論説委員 triplets@donga.com