「構造的な差別から抜け出すためには、沖縄の主権回復が必要だ。…東京の中央政府は沖縄の利益を代表していない。沖縄の代表が参加しない合意に沖縄人が拘束される理由はない」(12日付の琉球新報3面)
沖縄の米軍基地問題を解決するためには、外交と国防を総括する日本と米国の長官が今月初め、東京で開かれた「2+2」方式は駄目で、沖縄代表を入れて「2+2+1」会議を開くべきだという、地元新聞のコラムの一部だ。
日本の47の都道府県の一つである沖縄県が主権回復を語り、中央政府の代表性まで否定するのは、ややもすれば「独立」を意味するかのように映るが、沖縄では、それほど過激な表現でもない。2000年の先進8ヵ国(G8)サミットが沖縄で開催されたときも、地元の大学教授が「沖縄は独立した方がましだ」と発言して驚いたことがあるが、それは筆者の無知によるものであることに気づくまでは、それほど長くかからなかった。
ウチナンチュ(沖縄出身の人のことを意味する沖縄言葉)とヤマトンチュ(沖縄出身の人が本土の日本人を呼ぶ言葉)の感覚が異なる理由は明らかだ。遡れば、独立海上王国「琉球国」(1429〜1879年)を日本が武力で強制併合したからで、近くは第二次世界大戦の最後の決戦場として10万を超える地元住民が犠牲になり、27年にわたって米軍の統治を受け、今も在日米軍基地の74%が沖縄に密集していることが原因になっている。
だとすれば、沖縄問題は米国のためだけなのか。高橋哲哉東京大学教授は、著書「犠牲のシステム福島・沖縄」で、新たな見解を示した。沖縄の「植民地的状況」をシステム化しているのには、ヤマトンチュの責任がもっと大きいという。日本と日本人が国土面積0.6%、人口の1%に過ぎない沖縄に過度の犠牲を強要していながら、国益という名で沖縄を意識さえもしていないと指摘している。(2013年、ハン・スンドン訳「トルベゲ」発行)
現在、沖縄の最大の懸案問題は普天間基地の移転と垂直離着陸輸送機オスプレイの配備問題だ。しかし、この問題は自分たちの運命を他人の手に委ねなければならなかった根の深い鬱憤の一部に過ぎない。沖縄の「もがき」は、出口を見出すだろうか。先週、横田(空軍)、横須賀(海軍)、普天間(海兵隊)など日本に駐留する米軍の核心基地を見学して感じたところでは、否定的だ。
第一、中国の急激な台頭と北朝鮮の不確実性のため、在日米軍基地の重要性は相変わらずで、沖縄より増しな場所を見つけ難い。第二、米国は日本の軍事的役割の拡大を支持し、日本はそれに応じる準備ができている。第三、米国と日本の、こうして共通利益を問題視する大義名分が、とくに見当たらない。「明日」を見据えている硬い米日同盟に「今日」を語っている沖縄が入り込めるような隙間は、余りにも狭いのだ。
日本の県の一つと主権国の韓国を比較するのは適切なことではない。だが、沖縄から見た北東アジアの冷酷な国際秩序は、「不都合な質問」をさせている。中国の台頭を、我々は「明日」の観点から、どれだけ真剣に考えているのかだ。韓半島有事に後方基地の役割を担う日本を、安保面でも軽視するのか。韓米同盟のために、我々はどんな対価を払う準備ができているのか。正解を語るのは難しいが、我々だけの立場から、いくら有利な対応策を出したところで、どうにもならないということは明らかだ。
首里城は琉球の王宮だった。1458年に、この王宮の正殿にこじんまりした鐘が一つかかった。朝鮮、中国、日本はもちろんのこと、一時はインドネシアにまで進出していた海上王国琉球のプライドが刻まれている。そのうちの4文字が鐘の名前になった。万国津梁。世界の国々の港や橋、つまり世界の架け橋になりたい夢だった。しかし、夢は叶わず、国は滅びた。鐘を吊る29年前に統一を達成する際、国策として全ての武器を溶かせて唐鍬を作ったのも禍根だった。
1878年、日本が琉球を沖縄県に強制編入した後に押し付けた同化政策は、朝鮮併合後のそれに、驚くほど似ている。天皇の神格化、教育勅語、沖縄語の使用禁止、創始改名、断髪令、神社建設、王族の東京居住の強制…。そして今日、沖縄は依然として日本に属しており、韓国は独立した。何が運命を分けたのか。我々の独立への意志と力量は、いくら褒めてもやり過ぎることはない。しかし、他力の恐ろしさにも備えてこそ、明日があることを、今日の沖縄が物語っている。