4世紀の金官伽耶(クムグァンカヤ)の王宮が民の居住地からは見えない海抜30メートルの高地に建てられたことが地理情報システム(GIS)の研究で確認された。支配層の位階を空間的に具現化したもので、ほぼ同時期に、新羅の王宮である慶尚北道慶州(キョンサンプクト・キョンジュ)の月城(ウォルソン)も民の居住地を見下ろすことができる高地に造成された。
国立慶州文化財研究所のカン・ドンソク学芸研究室長は、慶尚南道金海鳳凰洞(キョンサンナムド・キムヘ・ポンファンドン)の王宮と推定される遺跡と大成洞(テソンドン)古墳を3次元(3D)GISで分析した論文(「GISを利用した古代景観の再構成」)を10日、ソウル大学国史学科主催の学術大会で発表した。GISは、古地図や古書、考古資料などに基づいて昔の地理情報をデータベース(DB)化したものだ。テキスト中心の史料を視角化し、当代の空間の政治、社会、経済的背景を把握するうえで容易な研究技法と評価されている。
論文でカン氏は、金海鳳凰洞と大成洞付近の金官伽耶の遺跡48ヵ所を王宮や民の居住地、農耕地などに分類した。そして、4世紀当時の地表面を基準に海抜高度を比較分析した。その結果、海抜約2~7メートルに散在した民の居住地では、海抜30メートルの丘陵の頂上に造成された王宮内部を見ることができなかったことが確認された。王陵である大成洞古墳も、比較的高い海抜約20メートルの地帯にあった。一方、王城に進入する水路である金海の海畔川(ヘバンチョン)の流域では、パノラマのように繰り広げられた王宮を見ることができた。外国使節など外部の人に王城の威容を誇示したのだ。
カン氏は、「民の視野から王宮を遮断し、支配層と被支配層の位階を構造化して王権を強化しようという意図がうかがえる」とし、「海上交通路で金官伽耶を出入りする外部の人には、政治権力の地位を誇示するランドマークとして王宮を利用した」と説明した。これと関連した研究の結果、慶州市内の丘陵の頂上に建てられた新羅の月城と平地に造成された民の居住地の高度差も約20メートルに達したことがわかった。カン氏は、「新羅も金官伽耶のように支配層が眺望権力を確保した」と指摘した。
GISで18世紀の朝鮮の地方の交通網を分析した研究結果も発表された。ソウル大学奎章閣(キュジャンガク)韓国学研究院のオム・キソク客員研究員は、1757年(英祖33年)の295の村を収録した『輿地図書』と1770年の文臣、申景濬(シン・キョンジュン)が全国の陸路と水路を記録した地図書『道路考』をもとに18世紀の黄海道(ファンヘド)の道路網を再現した。
これを20世紀初めに制作された地形図の上に再構成した結果、黄海道内の145の区間にわたる計2613.44キロに達する道路網が敷かれていたことがわかった。黄海道内の23の郡県が道路を通じてクモの巣のように連結していた。一方、黄海道から首都漢陽(ハンヤン)に達する外部の道路網は、坡州(パジュ)で合流する四叉路で比較的単純だった。
このように外部道路網が相対的に脆弱なので、黄海道の場合、朝鮮前期まで海路で租税をおさめる漕運が行われた。英祖の時からは、穀物の代わりに銅銭で税金を徴収する作銭制が施行された。海運の場合、風浪にともなう穀物流失のリスクがあるためだ。オム氏は、「外部の交通網が内部の交通網に比べて発達しなかったことが、租税徴収体系に決定的な影響を及ぼしたとみられる」と指摘した。
イ・ソヨン記者 always99@donga.com