ドイツ派遣鉱夫だった父親と看護婦の母親の間で育ったシカゴ連邦裁判所のジョン・リー判事(54)が、連邦控訴裁判所の判事に指名された。リー判事は、上院で承認を受ければ、カリフォルニア第9控訴裁判所のハーバート・チェ(チェ・ヨンジョ)判事とルーシー・コー(コ・ヘラン)判事に続き、韓国系法律家の中では米連邦終身職判事になった3番目の事例となる。
米ホワイトハウスは13日(現地時間)、バイデン大統領が5人の新任連邦判事を指名したことを明らかにした。ホワイトハウスは、このうちの1人であるリー判事について、「第7連邦控訴裁判所に勤めることになる最初のアジア系米国人だ」と紹介した。リー判事は、2012年、イリノイ北部支所の連邦判事に就任してから10年ぶりに、韓国の高等裁判所ともいえる連邦控訴裁判所の判事に就任することになった。
リー判事は1968年、ドイツ派遣鉱夫だった父親のイ・ソング氏(82)と看護婦だった母親のイ・ファジャ氏(78)の三兄弟の長男としてドイツのアーヘンで生まれた。当時、貧しい家庭の事情のため、リー判事は生後3カ月の時、大田(テジョン)に送られ、祖母の手によって育った。ドイツから米国に移住した両親は、1972年、4歳だった彼を米国に連れてきた。父親は明け方に工場に出勤し、母親は病院の看護婦として働き、昼間は一人で家を守りながら勉強しなければならない劣悪な環境だった。
リー判事は、ハーバード大学を経て、1992年、ハーバード大学ロースクールを卒業後、2012年、バラク・オバマ政府時代に連邦裁判所の判事に抜擢された。同年7月、リー判事の就任式で、イリノイ州連邦上院議員のディック・ダービン氏は、「4歳で米国に来て連邦判事になったリー判事の話は、米国がどれほど偉大な国なのかをよく示している」と述べた。
リー判事は当時、あるマスコミとのインタビューで、「韓国での幼年時代は、私のアイデンティティを形成させ、今の私をいさせてくれたとても大切な時間だ」とし、「いつも感謝の気持ち、懐かしい気持ちを持っている」と話した。彼は、「両親が、法的な問題や法律文書を読みながら困難に直面しているのを見て、法の役割について考えるようになった」とし、「公正さと謙遜を失わないよう努力する。すべての人を同等に待遇し、彼らの声を聞き逃さずに聞く判事になりたい」と述べた。
イ・チェワン記者 chaewani@donga.com