災害予防・対応システムも責任者もすべて眠っていた
Posted November. 05, 2022 08:58,
Updated November. 05, 2022 08:58
災害予防・対応システムも責任者もすべて眠っていた.
November. 05, 2022 08:58.
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梨泰院(イテウォン)ハロウィーン惨事のニュースで始まった1週間が終わりつつある。今日で7日間の国民追悼期間も終わる。しかし、衝撃と悲しみ、無気力感から抜け出せない。14ヵ国26人の外国人を含め、156人の若者が命を失い、151人が負傷した惨事の重さのためだけではない。災害の予防と対応体系の不備が惨憺たるもので、事後の収拾過程もお粗末で、失望を禁じ得ない。特に、監察と捜査過程で明らかになる警察指揮部の安易な対応と紀綱の緩みは、いつ類似の事故が起こっても不思議ではない水準だ。午後10時15分の惨事発生の前から龍山(ヨンサン)警察署とソウル警察庁状況室の実務者らは事故の危険を感知していた。「圧死するかもしれない」という112通報が4時間前から相次ぎ、龍山署梨泰院の警察官は2時間半前に、「交通機動隊でも早く送ってほしい」と要請した。当時、事件現場から5分もかからない場所に4つの機動隊がいたが、現場投入は惨事発生から1時間が経って開始された。機動隊が適宜に出動していたなら、ソウルの中心で圧死する惨事は防げたのではないか。機動隊投入の遅延は警察の「指揮空白」のためだ。現場状況責任者の李林宰(イ・イムジェ)龍山警察署長は夜9時30分に状況報告を受けても、現場に夜11時過ぎに到着した。にもかかわらず10時20分頃に現場指揮を始めたと、虚偽の状況報告を作成した。金光浩(キム・グァンホ)ソウル警察庁長は、署長の遅れた報告まで逃し、午前0時を過ぎて現場に現れた。尹熙根(ユン・ヒグン)警察庁長は深夜に事故を知った。惨事当日、故郷の忠清北道清州(チュンチョンプクト・チョンジュ)に行き、早く就寝したため、メールも電話も確認できなかったということだ。尹大統領はソウルに移動し、午前2時30分になって指揮部会議を招集した。治安の総責任者に緊急連絡がつかない状況があるのだろうか。大統領が消防当局の報告を受けた時刻は夜11時1分。誰に何の指示をし、警察首脳部はこれより35分~1時間が経って状況を知ったのか。警察は、ハロウィーンイベントのように主催者がいない大規模イベントの対応マニュアルが必要であることを認知しながら、7年間、制度を整備しなかった。マニュアルがなくとも、2005年に多くの人が集まる状況に備えて作成された「多重雲集行事安全管理マニュアル」に従っていれば、惨事は防ぐことができた。警察がマニュアルの予防ルールを無視した経緯と現場の対応が遅れた理由を徹底的に捜査しなければならない。地に落ちた警察に対する国民の信頼を回復するための刷新策も必要だ。
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梨泰院(イテウォン)ハロウィーン惨事のニュースで始まった1週間が終わりつつある。今日で7日間の国民追悼期間も終わる。しかし、衝撃と悲しみ、無気力感から抜け出せない。14ヵ国26人の外国人を含め、156人の若者が命を失い、151人が負傷した惨事の重さのためだけではない。災害の予防と対応体系の不備が惨憺たるもので、事後の収拾過程もお粗末で、失望を禁じ得ない。
特に、監察と捜査過程で明らかになる警察指揮部の安易な対応と紀綱の緩みは、いつ類似の事故が起こっても不思議ではない水準だ。午後10時15分の惨事発生の前から龍山(ヨンサン)警察署とソウル警察庁状況室の実務者らは事故の危険を感知していた。「圧死するかもしれない」という112通報が4時間前から相次ぎ、龍山署梨泰院の警察官は2時間半前に、「交通機動隊でも早く送ってほしい」と要請した。当時、事件現場から5分もかからない場所に4つの機動隊がいたが、現場投入は惨事発生から1時間が経って開始された。機動隊が適宜に出動していたなら、ソウルの中心で圧死する惨事は防げたのではないか。
機動隊投入の遅延は警察の「指揮空白」のためだ。現場状況責任者の李林宰(イ・イムジェ)龍山警察署長は夜9時30分に状況報告を受けても、現場に夜11時過ぎに到着した。にもかかわらず10時20分頃に現場指揮を始めたと、虚偽の状況報告を作成した。金光浩(キム・グァンホ)ソウル警察庁長は、署長の遅れた報告まで逃し、午前0時を過ぎて現場に現れた。
尹熙根(ユン・ヒグン)警察庁長は深夜に事故を知った。惨事当日、故郷の忠清北道清州(チュンチョンプクト・チョンジュ)に行き、早く就寝したため、メールも電話も確認できなかったということだ。尹大統領はソウルに移動し、午前2時30分になって指揮部会議を招集した。治安の総責任者に緊急連絡がつかない状況があるのだろうか。大統領が消防当局の報告を受けた時刻は夜11時1分。誰に何の指示をし、警察首脳部はこれより35分~1時間が経って状況を知ったのか。
警察は、ハロウィーンイベントのように主催者がいない大規模イベントの対応マニュアルが必要であることを認知しながら、7年間、制度を整備しなかった。マニュアルがなくとも、2005年に多くの人が集まる状況に備えて作成された「多重雲集行事安全管理マニュアル」に従っていれば、惨事は防ぐことができた。警察がマニュアルの予防ルールを無視した経緯と現場の対応が遅れた理由を徹底的に捜査しなければならない。地に落ちた警察に対する国民の信頼を回復するための刷新策も必要だ。
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