元々あった江原道原州(カンウォンド・ウォンジュ)を離れ、ソウル明洞(ミョンドン)、日本の大阪、景福宮(キョンボククン)、大田(テジョン)を転々としていた国宝「原州法泉寺(ポプチョンサ)址智光(チグァン)国師塔」が、5年間の保存処理を終え、1日、故郷である江原道原州市の法泉寺址遺跡展示館に戻る。日本帝国の植民地だった1911年に日本人に売られた後、10回余りの解体と再組み立てを経て、直線距離だけで計算しても1975キロ程度を漂っていたこの遺物が、112年ぶりに帰郷するのだ。
智光国師塔は、高麗時代の僧侶智光国師ヘリン(984~1070)の舎利と遺骨が奉安された僧塔だ。31日、文化財庁によると、ヘリンが入籍した11世紀末、原州市富論面(ブロンミョン)法泉寺址(史跡)に建てられたものと推定される。華やかな彫刻が施され、全時代を通じて最も個性的で華やかな僧塔として挙げられる。
しかし、1911年に日本人に売られた後、ソウル明洞(ミョンドン)に運ばれ、翌年、大阪に搬出されるという痛ましい歴史をがあった。1915年、朝鮮総督府の命令で返還され、景福宮(キョンボクグン)の境内に位置したが、韓国戦争時に屋蓋石(石塔や石灯籠の上を覆う石)などの遺物の上段部が爆撃被害で破損した。
国立文化財研究院・文化財保存科学センターは、2016年3月、智光国師塔の部材(石塔を構成する様々な石材)33点を解体後、大田(テジョン)センターに移し、2020年までに保存処理および復元作業を行った。国立文化財研究院のイ・テジョン研究士は、「なくなった部材は、塔が造成された当時と最も類似した石材を手にして新しく製作し、破損した部材を接着して、失っていた本来の姿を最大限取り戻そうとした」と説明した。
国立文化財研究院は、部材のうち、追加点検が必要な屋蓋石と塔身石(石塔の体を成す石)の2点を除いた31点を法泉寺址遺跡展示館に移し、常設展示することにした。今後、最終復元位置が確定するまでは、同展示館で無料で公開される予定だ。
文化財庁は、「解体された部材を本来の姿に積み上げる最終復元は、原州市と協議して決定する方針だ」と明らかにした。本来の場所は、富論面法泉寺址内の僧塔院だが、保存環境などを考慮して、法泉寺址遺跡展示館で復元する案も検討している。展示館は、元の場所とは約280メートル離れており、法泉寺址内にある。10日午後2時、法泉寺址遺跡展示館で塔の帰郷を記念する行事が開かれる。
イ・ソヨン記者 always99@donga.com