チェ・ミン(韓国芸術総合学校 映像院長/清州国際映画祭 組織委員長)
韓国には現在釜山(プサン)国際映画祭,プチョンファンタスティック国際映画祭、そして清州(チョンジュ)国際映画祭など3つの国際映画祭がある。この小さい国に国際映画祭が3つもあるとは少し多いのではないかという視角もある。
しかし、これは映画祭が持つ文化的,教育的、産業的意義を助ェに理解していないところからくる誤解である。観客は正直である。映画および映像に対する我々の社会は遅れている。しかし,日増しに増していく関心は国際映画祭ごとに集まる若者たちの熱狂からも証明できる。
今年初めて開かれた清州国際映画祭が標榜したのは大眼映画の祭りであった。行事を組織し、準備する側には大眼映画という概念自体が一般大衆には理解できないのではないかと心配された。
即ち、一般の映画館とビデオ市場を中心に流通される主流の産業映画ではない,より独立的精神で製作され、芸術映画のより幅広い可柏ォを実験的に探索している最近の映画を宣伝し,見せるという目標自体が冒険であったためである。
しかし、清州の映画館街は全国から集まった若者たちで1週間の間にぎわっていた。大衆が見た目でつまらない映画だという映画を上映する映画館にもたくさんの観客が集まった。このように観客を集められたという点でプサン,プチョンに次いで清州に新しく開かれた国際映画祭も成功したということは将来も明るい。
これらの映画祭は一年に20億ウォンほどの落Zで運用されている。見る限り行事の意義を考えると必ずしも多いお金とは言えない。映画祭とは国際文化,芸術の行事の中で費用は少ないが、効果は非常に大きい行事である。もちろん、映画媒体の持つ大衆的特性のためである。全世界各国で製作された100〜200編の映画が1週間から10日間という期間に一つの都市で上映されるということはその都市の人間はもちろん,新しい映画を渇望している全国の数多くの映画ファンにとってどれだけうれしいことか。
国際映画祭は韓国に一つだけであれば助ェではないかという考えは,一つの国に首都が一つだけあればいいという考えと同じであまりに単純すぎる。一つの国際映画祭では全世界の多様な映画を網羅することはできない。
この3つの映画祭で上映される映画は一年に長編、短編合わせて500編程度である。
しかし、この映画の中で国内の映画館で上映されたり,ビデオに出たりするのわずか数編に過ぎない。
アメリカ映画が支配している国際映画市場の流通経路で除外された,非常に意味のある各国映画を見るいい機会を提供するのがまさしくこの国際映画祭だ。
インターネットでこのような映画を見ることができるのではないかと訊ねる人もいるかも知れない.しかし、インターネットを通して映画を見るのは,まだまれなことである。インターネットにたくさんの映画が出ているわけでもない。
映像産業振興のために国家の次元から様々な支援策を講じているが、基本的により多くの映画ファンの確保なしに効果を上げることはできない。
映画産業の体制が基本的に国家別に組織されているため映画観覧人口が少ない国家は競争原理で必然的に不利な位置に置かれるしかない。
国際映画祭は映画マニアのための祭りではない。新しい観客を集め確保するための国家戦略的産業として見なければならない。最近、韓国の映画産業も希望的な観測がなされているのも大学生中心の新しい映画館ファンが形成されていることによっている。
しかし、この新しい映画館ファンが大学生と若い女性層を中心に限定されているのも問題である。多様な年齢層から潜在的な映画観ファンが継続的に開発されなければならない。それによって一つの社会の映画的嗜好が観覧次元や製作の次元など多様に華が咲くのである。
世界各国の新しい映画を選んで上映し、これを作る監督と製作に参加した人々を招待し直接対話する機会を作ることは未来の映画人と映画ファンを育てるための教育的な次元からだけではなく産業的な次元でも必修の仕事である。
国際映画祭がもう一つや二つできてもいいはずだ。特徴を各々変えて、役割を分担し競争することが望ましい。結局,国際映画祭の妥当性を評価するのは観客である。