「医薬分業の大乱」に続き「金融改革小乱」があった。これらをめぐり、様々な意見と主張がある。集団利己主義を非難する意見もあり、政府の調整力不在を批判する意見もある。信頼の喪失について叫ぶかと思えば、専門家の不在を嘆く。
しかし、「山高き、空青く、河は流れる」という話だけで何かとわびしい。葛藤を調整、仲裁し大乱を防ぐための具体的な内容と方法はない。
下半期にも医薬分業の完全実施、第2次金融国「調整の本格的な推進、公共部門の一層強度の強い国「調整や労働時間短縮を争点にする労使、労政間の対立など、大乱に発展する可柏ォのある問題が散在している。
利益集団間の葛藤をうまく調整する一方、改革を進めるためにはまず、政策の企画から徹底に準備することが必要とされる。政策の国政哲学との整合性、政策の方向と内容、推進戦略、推進システムなどを組み込んだ「シナリオ」が、周到綿密に作られるべきである。
決められた時刻浮セけで5つの銀行を退出させた時のような愚かな行動を繰り返してはいけない。シナリオのない映画が「名画」になる可柏ォはほとんどゼロに近い。
二番目に、政策当局者は21世紀のパラダイムに合わせ、自分達の姿勢を変えていくべきである。政策当局は、政策を企画、調整、執行する過程で政策の施行対象になる者への関心と理解、そして愛情をもつべきである。これらは皆、信頼のもとである。信頼があってこそ対話と妥協、説得と譲歩は始まり、実現されるのである。もし、福祉政策の担当者が生活保護対象者を面倒がり、労働政策の担当者が労組の幹部らを欝陶しがるようであったら、どんなに頑張ってもその結果は目に見えている。
三番目に、利益集団の「本音」と「建前」を正しく理解し、把握する力が必要である。これは利害当事者との話し合いを始めるための土台となる。時には行過ぎて、時には過激なその建前を理解すれば、その裏には集団の多数の、或は良識のある少数の素朴な本音が隠れているはずだ。その本音を正しく理解さえすれば半分は成功したものと言える。
四番目に、そうして把握した本音を調整し、韓国社会の現実と指向に合わせ、実現させるための努力が伴われるべきである。その努力は話し合いと討論、「説得と圧迫」を意味する。調整には改革した場合の国益と、参加効率公平の原則が一貫されるべきである。そうなれば大乱は起らないはずである。もし起きたとしても、小乱で終わるはずだ。
最後に、ずいぶん遅れてはいるが、今からでもその葛藤に備えるべきである。解決の基本はもちろん、先述した内容を政府の中で「一つ一つ、しかしすばやく」実現するのだ。これにはもちろん長い時間が必要である。ならば、今私たちは何をすべきであろうか。
「あなた方が正しいかも知れない。しかし、時間が経てば、我々はみな死ぬ。」自由主義学派に反対して、見えない手だけを主張し、政府の役割を否定したケインズの言葉である。無知無狽ニ適当主義が蔓延している現在、深く考えてみる必要のある命題である。