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6世紀の高句麗遺物を発掘

Posted July. 25, 2000 12:47,   

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6世紀頃、高句麗人の生活文化を現す高句麗時代の杖鼓(ジャング)、尺、木簡、木製の念珠などが初めて出土された。

京畿道の河南市で「二聖山城」を発掘中である漢陽(ハンヤン)大博物館(館長、裴基同べ・キドン)は24日、山城の内部にある堤でこのような遺物と各種の土器など、高句麗時代の生活遺物を発掘したと発浮オ、遺物を公開した。

発掘団は、この遺物が高句麗時代の褥薩(ヨクサル、高句麗の官職名)が書かれていた木簡と同じ層で出土したことから高句麗時代の遺物であると推定している。

このうちで最も目立つ遺物は、高句麗時代の楽器である腰鼓(ヨゴ)だ。杖鼓の元型といえる腰鼓は、長さ42cm、両側面の直径16cmで、杖鼓と同じ模様である。砂時計を横にしておいたような褥薩は、真中の直径が7cmで最近の杖鼓より細い。腰鼓は、鼓を打つバチでは左側、手の平には右側を叩き、音を出すという。この「褥薩」は、高句麗文化だけではなく韓国音楽史の研究にも重要な遺物として評価している。

これと共に出土した尺も、高句麗時代に使われた物として、初めて発掘し、一部は破損され、現在35cmだけが残っている。これまで日本学界は、「高句麗 時代には尺がない」と主張していたが、今回の発掘によって学説が変化する見込みだ。

「褥薩」という漢字などが書いてある木簡も初めて発掘した高句麗遺物だ。こうした遺物は、堤の湿地に埋められたために比較的保存状態が良い。

遺物が出土した「二聖山城」は、6世紀頃で、漢江流域をめぐって三国(高句麗・新羅・百済)間の争奪戦があった地域。今までの発掘には、新羅(しらぎ)遺物を柱として出土したが、今回の発掘によって発掘団は、「二聖山城」が高句麗の城である可柏ォが高まったと推定している。



李光杓(イ・ガンピョ)記者 kplee@donga.com