「母が、本当に生きているということですか?」
韓国離散家族訪問団候補の生死確認名簿の中で、最年長の109歳の母、具仁賢(ク・インヒョン)さんの生存の消息を北朝鮮赤庶嚔・ゥら確認した張二允(チャン・イユン・72歳)さんは「信じられない」としばし言葉を失った。
1929年、平北のヨンチョン郡で7男3女の末っ子として生まれた張さんは「母は本当に私を可愛がってくれたのです…。別れてから50年ぶりにやっと会うことができるんなんて…。」と最後には涙を流した。
張さんが家族と別れたのは中共軍が6・25戦争(朝鮮戦争)に介入、南下を始めた頃の1950年12月5日。
「当時、平壌(ピョンヤン)では男が道を歩けば、徴兵されたり捕まえられ殺されたりしました。それで親戚の叔父の家に隠れ避難して過ごすことにし‘先に行って待っています’と母に別れのあいさつをしたのが長い別れとなったのです」
張さんは二番目の兄文澤(ムンテク・90年死去)さんとともに親戚に連れられて南に下った。
しかし、テドン川を越え100キロ下った時、兄と親戚を見失ってしまい、たった一人になってしまった。張氏は結局一人で歩いて15日後にャEル近郊に到着した。
60年、避難中に別れた兄・文澤さんと紆余曲折の末、出会い、その年兄と共にインチョンに定住し電気用品製造業を経営して大金を稼ぎ上げたが、60年末映画製作にすべての金を注ぎ込みはたいてしまった。
その後彼は70年に、釜山に移りバッラク小屋の立ち並ぶ、釜山東区スジョン洞に定着した。
釜山で、夫人朴順伊(パク・スニ・62歳)さんと結婚し、現在2男1女をもうけ、2ヶ月前釜山サハ区ハダン洞に親戚達とともに中古の台所用品を取り扱う‘国際台所総合流通’を設立した。
「良妻賢母だった母は、私が末っ子なのでとりわけ可愛がってくれ、8歳まで母の乳を吸うほどの甘えん坊だったことを思い出します。母に会えたら、胸に抱かれてとことん泣きたいです。」
50年ぶりに母に会えるという事実に張さんの顔に刻まれた長年の痛みが一瞬にして消えるようであった。