彼女は天国から呼ばれるその瞬間までひたすら入養児のことばかり考えていた。彼女は老後、アメリカ・オレゴン州ユジン市の自宅で暮しながらも、彼女が養子の世話をした子供たちに手紙を書き、彼らのために祈祷する毎日であったと遺族は伝えている。
韓国の戦争孤児などの不遇な子供たちのために生涯を捧げたバサー・ホルト女史が96歳で昨日アメリカの自宅でこの世を去った。アメリカの家庭に入養された韓国の孤児たちから「おばあちゃん」と呼ばれ慕われていた天使がこの世からいなくなったのだ。彼女が毎朝ジョギングをして健康を維持しようと努力していたのも子供たちを少しでも長く面倒見たかったためだという。
ホルト女史は1955年、韓国の戦争遺児8人を連れて来て、自分の子供6人と一緒に育てながら、夫(1964年韓国で死亡)とともにホルト国際児童福祉会を設立して本格的に入養の事業を始め、これまで韓国の孤児7万人の海外入養の世話をして、1万8000人余りに韓国で新しい家庭を探してあげた。子供たちにとって産みの親であれ、育ての親であれ、家庭で両親に愛されてこそ健康に成長することができる、というのがこの二人の信念であった。
生前ホルト女史が見せてくれた愛の実践は我々に様々なことを考えさせてくれる。何よりも保護が必要な子供には、我々が責任を持つという社会的な雰囲気を作ることが急務なのである。保険福祉省によると、昨年国内入養は1700人、海外入養は2400人余りと依然として孤児輸出国の汚名を返上できないままである。
今後は跡を継ぐための入養ではなく、捨てられた子供たちを立派な社会構成員に育てるという認識の転換がなされなければならない。このために政府は入養についての社会的偏見をなくすための全国民的キャンペーンを繰り広げる必要がある。不遇な児童を社会施設に入れて保護するには限界があるためだ。またもう一つ、戸籍には入れないで、自立するまで両親のない子供たちの世話をする家庭委託養育制度を活性化し、その家庭には政府が補助金を出すという政策についても考えてみてもいいだろう。
これとともに、海外で養子として育った子供たちが、その後大きくなり自分のルーツを探すときの助けになるように、出生と養子の過程の必要な情報を総合的に管理するのも政府の役割だと思う。
韓国の子供たちを愛したホルト女史。その彼女の願い通り京畿(キョンギ)道イルサンのホルト福祉タウン内にある夫の墓のそばに埋められることになった。ホルト女史の冥福を祈る。