今月6日は日本の広島が、9日は長崎が55年前に核爆弾攻撃を受けた日だ。毎年8月になると日本のマスコミは2ヶ所の動きを詳細に報道する。その動向の底には地球上で唯一、核の攻撃を受けた国であるという被害意識と、同時に核の無い世界への希望とが広がっている。
しかし日本社会には核武装に対する強い思いも明らかに存在する。核保有は‘強い日本’を唱える保守派の‘最後の宿題’である。日本の8月は、核問題に対する相反する考えが交錯する月でもある。
森喜朗総理は1日の参議院本会における答弁の中で、9月に開かれる国連ミレニアム首脳会議で新たに核軍縮決議を提出することを明らかにした。核廃絶を目標にする日本の意志を国内外へ誇示する意向だ。
広島市は、先月沖縄で開かれた先進8カ国(G8)首脳会議期間中に被爆写真展を開催した。長崎市は今年11月に国内外の非政府機香iNGO)を招請し、‘核兵器廃止−地球市民集会ナガサキ’という大規模な集会をする。日本の公営放送であるNHKは広島、長崎の二つの放送局が合作で‘被爆者たちの今日’を見つめるドキュメンタリー番組を制作中である。
日本政府は敗戦後‘核を造らない、保有しない、持ち込まない’という非核3原則を宣言した。しかし沖縄返還(72年)を前にした69年、日米の両国首脳が面談し「緊急事態が発生した場合、米軍は再度沖縄への核兵器搬入が可狽ナある」という密約を交わした事実が明らかになった。
昨年10月、当時の西村慎吾防衛庁長官は「核武装論議が必要である」と発言、一日のうちに更迭となった。だが西村長官の発言は、日本の保守派たちの内情そのままを浮オたものでもあった。‘新しい歴史教科書をつくる会’は最近、文部省へ検定を要請した中学校公民教科書の中に、「核兵器の廃止は絶対的な定義なのか」という疑問を提起した。日本が核に対する未練を持っているということは、造ろうと思えばいつでも核兵器を製造することのできる、あらゆる条件が揃っているためであると言える。