先日パク・ジウォン(朴智元)文化観光部長官が指摘した地上波TVの扇情性、暴力性の問題はTVだけの問題ではない。 映画、漫画、ミュージック・ビデオなど、他の大衆文化の分野でも一定の水準を脱した扇情的で暴力的な内容が急増している。
もはや、この問題は一つの分野だけでなく、大衆文化全般にわたる幅広い現象として根付いている。
特に映画の分野ではワイセツ性の境界線を行来する作品が相次いでいる。ワイセツ問題で論議を起した映画以来、現状はより深刻化しているようだ。市民団体などでワイセツと見なしたが審議をパスしたぐらいだから露骨な性表現の映画も可能ではないかというムードが広がっている。しかし、検察が映画に対して無容疑の決定を下したのは表現の自由を尊重し、ワイセツか否かの問題は国民の判断に委ねるという意味であってワイセツ性自体を認めたということではない。
検察の今回の決定を機に一儲けしようとする腹黒い意図もいやらしいものだが、このような混乱は今の映画等級制が抱える構造的な部分にその根本的な問題点があると言える。等級制は名の通り等級制ではあるが完全な等級制が行われていないから問題が生じるのである。
従って、昨年、文化観光部が国会の審議過程で保留された等級外映画館を制限映画館に名を変えて再び推進するように決めたことは、今の等級制の副作用を減らす一つの対策になると思われる。
行過ぎた性の表現などを理由に等級外になった映画の場合、現行法上、等級外映画館が認められていないため、韓国内での上映が不可能となる。このような問題があるたびに映画のような表現の自由に対する論争が巻き起る可能性は高く、また、ワイセツ性に対する判断基準が曖昧になるのである。