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離散家族半世紀ぶりの熱い抱擁、国中が泣いた

離散家族半世紀ぶりの熱い抱擁、国中が泣いた

Posted August. 15, 2000 13:44,   

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8・15光復55周年の2000年8月15日。南と北の離散家族200名がSeoulと平壌(ピョンヤン)で半世紀前に別れた血縁達と熱く抱き会った。杖をついた百歳になる母が、顔にしわが深く刻まれた息子を抱きしめた。白髪の息子が車椅子に体を預けた父の前にかがみ大きく礼をし、悲しみの余り涙ぐんだ。55年間貞節を尽くした妻はおじいさんに変わった夫の手を握り言葉を失った。人民軍になり越北した兄を抱きしめた弟はとめどなく涙を流した。記憶を失った母が、息子を識別できないのに「やって来ましたよ」と悔しげに叫ぶ息子もいた。

再会の場所であるSeoulのCOEXとピョンヤンの高麗(コリョ)ホテルはあっという間に涙の海に変わった。抱き合い、泣いては顔をじっと見て、再び泣いた。美しく着飾ったチマ・チョゴリが濡れた。テレビを見つめていた国民も共に泣いた。彼らの鳴咽の中に止っていた時間がやっと流れた。分断の歴史の中で身にしみついた離散の「恨」が少しでも解けたのだろうか。生き残れただけあり難いことだった。

北側の訪問団が分断以降初めて高麗航空機に乗り、西海の直航路を飛んでくるのにたった54分しかかからなかった。滑走路を滑り帰ってくるイリューシン62M航空機の機体の尻尾には赤いインゴン旗(北朝鮮の国旗)が鮮明に見えた。南側の訪問団は北側訪問団を乗せてきた高麗航空便で金浦(キンポ)空港を発ちピョンヤンのスンアン航空に飛んで行った。訪問団数は北側と同じ離散家族100名、随行員30名、記者団20名などあわせて151名。柳美英(リュ・ミヨン)北側訪問団団長はャEル到着声明で、固く凍り付いていた対決と分裂の障壁はやっと崩れ始めたと話した。張忠植(チャン・チュンシク)南側訪問団長は近い将来に離散家族たちが自由に往来できる日が来ることを期待していると答えた。南北の訪問団は歓迎晩餐の後、夢にまで見た故郷での夜を迎えた。