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どうか生死の確認だけでも

Posted August. 16, 2000 19:17,   

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北側の離散家族訪問団が宿泊しているソウルのウォーカーヒルホテル前に、水曜日一日中立ちつくしていた鄭燦九(チョンチャング・77・京畿(キョンギ)道南楊州(ナムヤンジュ)市)さんはとうとう泣き出してこのように訴えた。チョンさんがホテルまで来たのは、北朝鮮の人に会って、もしかしたらら6・25戦争当時に別れた夫人(70)と息子(50)の消息を聞けるのではないかという唯一の期待感のためである。ウォーカーヒルホテルの周辺にはチョンさんのように50年以上の「痛恨」を晴らしたい人たちが数百名集まった。キム・サンイル(46・ソウル・トンジャク)さんは、父親など6人の家族の名前が書かれたパネルを首に掛けて来ており、イ・ワンジェ(46・ソウル市銅雀(トンジャク)区)さんは捜している家族の昔の写真を貼ったパネルをホテルの隅に掛けたりもしていた。

彼らは各々すでに死んだということを確認さえできれば法事でもできるじゃないか、と50年以上の心の痛みを吐露した。ウォーカーヒルホテルの前だけではない。南側訪問北団が北に出発した日曜日、金浦(キンポ)空港には数百人の離散家族が集まり、もしかしたら生存しているかもしれない北の家族に伝えてほしいと消息を預けたりした。今回、赤十字社に家族の訪問を申し込んだが選考にもれた高齢の失郷民の中には、北に置いてきた肉親や血族に対する思いで倒れてしまう場合も少なくない。

政府が最近推定で出した資料によると、南側の離散家族数は767万名余りに達する。したがって、大多数の離散家族にとっては今回の8・15離散家族訪問は「選ばれた200家族だけの行事」であった。ここに来ることすらできなかった離散家族には血族の生存の確認が念願になっている。

水曜日の大韓赤十字社に直接訊ねてきた離散家族の訪問の申請は一日110人、問い合わせの電話も1000通あった。これは普段より2〜3倍程多い数字で、残りの離散家族の悲しみを代弁している。

定められた時間と場所で、制限された人員だけで実現した今回の8・15離散家族相互訪問は、全ての相互訪問家族や離散家族に名残惜しさと気の毒さを残した。これを解消するためには、離散家族面会所の設置を通じた相互訪問の定例化または常時化、そして手紙のやりとり及び物品交換の自由化などが南北の当局間で制度化されなければならないというのが離散家族と専門家らの一様な指摘。南北の政府当局が担っている課題ということになる。