Go to contents

「コラム]心で泣いている人々

Posted August. 17, 2000 13:22,   

한국어

昨日の涙は喜びと感激の涙であった。50年間積もりに積もったハン(韓国語で悔恨という意味)の涙でもあった。明日、離散家族が流すであろう涙は、短かかった対面の名残惜しさと、またいつ会えるかわからないことへの悲しみの涙であろう。今回、家族に会うという夢を叶えた離散家族らは、全世界の人たちが見守る中、舞台の上でテレビカメラの照明に照らされながら、強く抱き合い、思い切り泣いた。

しかし、舞台の裏で静かに泣いた人たちの方がもっと多かったはずだ。離散の悲しみはだれでも同じはずだが、コンピューター抽選からはずれ、次回を待っている人は7万3000人に達する。正確には、韓国で対面を申し込んだ人が7万6793人、この中で100人だけが今回対面したのだから、あと7万6693人が残っているわけである。

心の中で涙を忍んでいる人たちのなかには、また違う形の離散家族がいる。すなわち、北朝鮮に拉致された人と軍捕蘆の家族がである。特に北朝鮮に拉致された人たちのほとんどが漁師であるその家族は、非転向長期囚ですら北朝鮮へ送還されているのに、何の罪もなく北朝鮮につれていかれた人々は生死の確認さへできていないと嘆いている。

「南北関係が好転しても…」

心で泣いている人はほかにもいる。離散家族の対面をみながら傷付いた心を癒すことのできない人々、それは南北の対立や冷戦のなかで各種のテロで夫と父をなくした家族である。

ともかく、新たな千年において初めて迎える独立記念日に行われた離散家族の対面は、南北が対決の時代を乗り越え、和解と協力の時代に向かい始めたことを示す象徴的な事件である。南北関係を新たな段階へと発展させるためには、今回の対面で現れた民族のエネルギーを分断克服の力として昇華させるべきである。それは指導者の仕事でもある。内部的には国民大和合を実現すべきだ。

金大中大統領は、今回の独立記念日の祝辞で、南北が和解・協力している今、私たち国民が和合できないはずがないと述べた。しかし、現実はどうだろう。和合よりは葛藤があらゆる所に散在している。まずは、全国民が離散家族対面に目を向け、全国的に独立記念日の祝賀行事が行われていた15日午後、大学路には2万人の労働者が集まっていた。民主労働組合総連合(民主労総)主催の「公安弾圧粉砕全国労働者大会」が開かれたためだ。労働者は、集会を終えた後、クァンファムン(光化門)で夜間闘争を行おうとしたが、警察の制止でウルジロ1街辺りで解散した。なぜ彼らは、離散家族が対面するその日に、独立記念行事が予定されているクァンファムンに進出しようとしたのだろうか。彼らの言い分は、南北関係さえうまく行けばいいのか、どうして労働者を暴力で踏み躙り、知らんぷりをするのかというのである。

四日間のお祭りが終われば民主労総のダン・ビョンホ委員長は、20日前からソウル駅で断食ストをしている。彼らは△ロッテホテルと健康保険公団に進駐している警察の撤退と労使実質交渉による団体交渉妥結 △ロッテホテルなどで暴力的にストを鎮圧した責任者であるイ・ムヨン警察庁長の解任 △暴力鎮圧と警察のダン・ビョンホ委員長への暴行に対する政府関係者の謝罪などである。ロッテホテルのストライキは、二ヶ月以上続いており、労使両方が莫大な被害を被むっている。

もちろん労使問題は、双方に言い訳があるはずだ。暴力鎮圧に対しても、警察側は、過剰な鎮圧はなく、違法ストライキに対する正当な法執行であったと主張している。しかし、ロッテホテルに警察が投入される過程で完全に投降していた労働組合員を暴行する場面は、テレビを通じて生々しく伝わった。

労働者が憤怒している原因はより根本的な所にある。韓国が金融危機の過程で、貧富の格差が深化し、その差が20対80にまで広がり、失業率が最近3%になったとは言うものの、非正規職労働者の比重が増えるなど、労働者と庶民の暮らしは以前にも増して厳しくなったということである。民主社会において多少の葛藤が現れるのは当然のことである。しかし、その葛藤をいかにしてうまく調整するかはその社会の成熟度にかかっている。その葛藤を解決するのが、政治力でもある。しかし、韓国の政治はいま行方不明の状態である。国民のために医薬分業を実施すると言いながらも、重病にかかった患者が治療を受けられない現実が続いている中、政治の存在とは何か、考えさせられる。

心で泣いている人々の涙を拭ってあげられる政治をよみがえらせるべきである。四日間の南北離散家族の相互訪問が終われば、私たちの内面を振り返ってみよう。統一へ向かう力も我々の内部から湧き出るべきである。