8月15日、わたしはある放送局のスタジオに座っていたが、何も言葉が浮かばなかった。いつにもまして話したいことがたくさんあるだろうと思っていたのに、抱き合って号泣し、お互いの顔を確認しあうその場面を見ながら、私までが喜びと悲しみが混ざりあった感慨にふけ、なにも言うことができなかった。
これまでの人生の中で何かを話しに言って何も言えなかったのは今回が初めてだろう。また、常に統一、統合について自分なりに論理的な体系をつくってきたが、今回のように何の論理的説明がなくても、南北の和解と統一が当然のように思えたこともかつてなかったことである。
それほど、今回の南北離散家族の心痛ましい対面は、我が社会におけるあらゆることに対して再度考えられる機会を与えてくれたように思える。統一とは一体何だろう。富強な祖国、経済領域の拡張、自由と豊かな社会など、それらを発展させるためには統一しなければならないと声高く唱われた。しかし、今回の対面を見て、統一とは格好の良いスローガンや論理にあるのではなく、数多く小さなものの中にあったということが感じられた。統一の過程で少しくらい貧しくなることは我慢できるはずだ。その苦痛は、離散家族の悔恨や寂しさに勝ることはないだろう。対決と対立、戦争で同族を殺しながら一つの体制がほかの体制に勝って得た勝利は、今日のこのような素朴な対面よりうれしいはずがない。果たして、個人の小さな願いごと一つすら聞いてあげられない、「美しく胸が溢れそうな」だけの統一論理が果たして必要なのだろうか、という思いを消せない。雄大な統一論理を実現するために、その他大勢の小さなものを犠牲にするよりは、小さくても差し迫っている事柄を実現するために、雄大な統一論理を一歩後退させた方が、より人間的で人道主義的ではなかろうか。
号泣するその姿を見ていると南北の統一論者が恨めしく思われ、私のその中の一人に思えて恥ずかしいばかりだった。彼らが体制の優越性について声高く言い、それぞれの統一方策だけを絶対視していた時、離散家族らは対面することもできず、ひたすら我慢するばかりであった。対立と対決が深化するほど、韓国出身であり、北朝鮮出身の離散家族は何も言うことができなかった。対立が深化するほど、親子、夫婦、兄弟、姉妹が相手体制を非難し、その非難の過程で恋しさは憤怒に替り、その怒りはより一層相手を激しく非難する形になってしまう。
その中で、本人の素朴な希望とは裏腹に、自分の住んでいるその国の理念にとても充実した人のように見られ、その結果、対立政治において緊要な人になる場合もある。しかし、ソウルに来た私の先生方や昔の知り合いだった北朝鮮側の離散家族の対面をみて、私は彼らの心の奥に秘められていた、素朴ながらも何よりも重要な望みを、美辞麗句を駆使しながら抑え、そこから目をそむいてはいけないと思った。彼らから両国の制度が理念と思想の足枷を取り除いてくれれば、彼らは皆純粋な科学者であり、医師であり、官僚であるだけだ。そうなれば話し合いもしやすくなり、ぎこちない行動もなくなることから両国に必要な人材になるのではないだろうか。また、みんなより多く対面すれば、今回のように全世界が注目する特別な行事ではなく、静かで涙もない楽しい雰囲気の催しになるはずだ。
その中でお互いをもっと理解し合い、その理解に基づいて気楽に統一について話し合いながら、離散家族の対面がより有益な行事として発展することもできるだろう。これこそ南北既得権の独占的な統一論議ではなく、一般国民による統一論議である。それも本音と建前が別々になっているものではなく、表裏が同じの真なる国民統一論議ではないだろうか。どうか、今回ソウルを訪問した私の先生と離散家族らが南側の人々の行動や言葉から真なる同胞愛を感じ、そのまま北側の民衆に伝えてくれることを心から願いながら、無事帰還することを祈る。