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[コラム] 投票しないって?

Posted August. 29, 2000 19:51,   

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明日開かれる与党・民主党の全国党大会をはたしてどう受け入れるべきなのだろうか。政権第2期を支える与党の新たな面々を披露するイベントであるだけに、国民の関心と期待が高いだろうと思うべきか、それとも党外部の人には関係ない「自分たちだけのお祭り」騒ぎと思うべきだろうか。

民主党の人は嫌がるかもしれないが、私は後者の方へ点数をあげたい。集権党として国民に未来の希望とビジョンを提示し、党の能力を見せ付けられる機会を、自ら蹴飛ばしたためである。

民主党は少なくとも、二つの側面で全国党大会から国民の関心を背けさせた。まずは、「次期大統領選挙や党内部の権力とは関係ない」最高委員を選出するとして大会の意味を縮小してしまった。世の中に全国大会まで招集し、指導部を選びながら「今回選ばれた人は国や党の将来とは関係ない」と宣伝する政党はないだろう。

ということで国民は、与党が多大な予算をかけ全国の代議員を呼び集め大会を開くことについて不思議がり、その結果については興味がないのである。

今回の全国党大会のハイライトである最高委員選出投票に党の総裁である金大中大統領が参加しないというのもどうも釈然としない。「総裁は選出職とは別に5人の最高委員を指名できるので、投票する必要がない」という説明は、「今回の選出の結果は、次期大統領選挙とは関係ない」という話とともに、党の指導部を構成し、代表最高委員を選任するという序列付けがすべて総裁にかかっていることを認めるのである。

金大統領が投票しない本来の理由について、一部では「今回の競争で中立を守るための苦肉策」だともいう。これもどうも変な話である。

普通、平等・直接・秘密選挙が行われるのが確かであれば、いくら総裁であり大統領であっても、その原則を破り、無視することはできないのであり、それくらいは小学生でも知っていることである。誰もが自分の一票を他の人の影響を受けずに行使し、その結果に従えばいいのだ。なのに総裁の一票次第で代議員が影響されることを懸念して、前もって中立云々を強調する必要があるだろうか。

民主的な競争であれば総裁以外誰でも「私はだれだれに投票する」という話をしてはならず、代議員に特定候補への支持を強いることはできない。俗にいわれている「大統領の意向」を話しても、行使してもいけないということなのだが、それを守ることが投票への参加をあきらめなければならないほど難しいのであれば、選挙を行う必要なんてないのではないだろうか。

百歩譲って、中立を守るためには投票に参加しないのが最善の方法であったとしても、それが国民に開けっぴろげに話せるようなことだったのかも疑問だ。民主主義の基本は自由選挙であり、投票権者全員が参加することでそれが可能になるということは常識のうちの常識である。学校でも、家庭でも、社会でも投票は国民の権利であり神聖な義務であると話し、投票権を放棄してはいけないと話している。「参加の共わない民主主義はありえない」という言葉もそこから生まれたのである。

ところが、だれよりも参加民主主義の先頭に立ち、自由選挙の原則を守るべき大統領が、幾ら党の選挙だからとして参加しないとは。中立を守るのは言葉と行動によって示せることであるが、民主主義の原則と価値は、職を賭けてでも守るべき事柄なのにそれをあきらめるとは。これで国民の投票参加を促し、若者の政治無関心をたしなめられるはずがない。

お祭りのように行えた与党の全国党大会がこのように目茶苦茶のように見えてしまうのは誠に残念である。

これからの2年半、国政を導かねばならない与党であるのだから、国民にとって「他人のお祭り」になってはいけないのだが、民主党はまるでわざわざそうしているようにみえる。

なぜだろう。それにはいろんな理由があるだろうが、一つだけ確かなことがある。集権勢力が新たなリーダーシップの台頭を不安がっているということである。大統領の任期が2年半も残っているのに、すでに次期大統領選挙の候補群が名を上げており、党の権力を、めぐって競争でもしたら、急速に任期末期現象がおこるのではないかと心配しているということである。そのため、「大統領選挙、党の権力とは関係ない」ということを強調し、それでも競争が深化していることから中立について語り、党総裁の投票不参論まで出てきたのである。

しかし、任期末期現象を恐れて民主主義の原則まで無視していいのだろうか。そうだとは思わない。金大統領は全国党大会の最高委員選挙に参加し投票すべきである。また、代議員らが決めた通り、党の指導部を構成すべきである。