シドニー五輪でも野球のドリームチームの日本戦不敗神話は不滅だ。
ドリームチームがはじめて結成されたのは98年のバンコクアジア大会の時。LA・ドジャーズのパク・チャンホとアリゾナ・ダイアモンドバックスのキム・ビョンヒョン(当時、成均館《ソンギュンガン》大)が率いるドリームチームⅠは、予選で日本を13対8で破り、さらに決勝戦では13対1で7回コールド勝ちを収めて金メダルを手にした。
ドリームチームⅡは去年、ソウルで開かれたシドニー五輪アジア地区予選を兼ねたアジア選手権大会で結成された。ホームラン王イ・スンヨプ(李承鎏) をはじめ、ジョン・ミンテ(鄭鏜台)、ジョン・ミンチョル、ク・デソン(具臺晟)ら、プロ選手が大挙して参加したドリームチームⅡは、決勝リーグ3回戦で日本に5対3で勝利し、優勝カップを抱いた。
野球の韓日戦の歴史は、アジア選手権大会がフィリピンマニラで初めて開かれた54年までさかのぼる。初対決で韓国は0対6で完敗。韓国が日本に初勝利を収めたのは9年後の63年のソウルアジア選手権大会の時。1次リーグで5対2で勝利し、最終戦ではキム・ウンリョン(ヘッテ監督)の2点ホームランとシン・ヨンギュンの4安打完封の活躍で、日本を3対0で破り優勝を収めた。
第27回世界野球選手権大会が開かれた82年、蚕室(ジャムシル)球場。0対2でリードされていた韓国は、8回裏、キム・ジェベク(ヒュンダイ監督)の奇襲バントで同点とした後、ハン・デファ(東国大監督)がレフト側ポールを直撃してフェアグラウンドに落ちる逆転3ランホームランを放ち、アジア国家で最初に世界選手権大会を制した。