およそ言葉というものは、その人物の水準を表す。中でも政治家の発言はそれ自体が政治だ。政治家は言葉で自身の政治理念を具現するといっても過言ではない。政治家の発言とは、彼らの価値観や時代認識などが濃縮され、表現されているものだ。勿論冗談や儀礼的な言葉、また誤って言い放ってしまったり、誇張された言葉もありうる。しかしいくら冗談や失言だとしてもその、時や場所、議題によって政治家の発言は冷静な評価を受けざるをえない。
「北朝鮮の人々はなぜ済州島(チェジュド)が好きなのか?」(パク・フィテク副総裁)、「だって済州島で反乱が起きたじゃないか」(キム・キベ事務総長)。これらは先先日ハンナラ党総裁団会議で出た発言だが、韻を踏んだ副総裁も発言を受けた事務総長もどちらも問題である。キム総長は、「韓国政府が南北国防相会談の会場を決定したが、北朝鮮側の要求通りに従ったとするその不手際を指摘するつもりだった」と釈明している。不手際を指摘することは簡単である。しかし問題はその方式であり、発言に現われた意識水準だ。キム総裁は「済州4・3抗争」を「反乱」と規定し、それを会談会場を済州島にしようとする「北朝鮮側の要求」に関連させているのだ。一言で言えばあきれた発想である。
済州4・3抗争を「反乱だった」と見るのは、彼の理念的性向だとしよう。しかし名目が第一野党の事務総長である人物が、道民全体の10%以上が無差別虐殺された韓国現代史の悲劇をそのように軽く扱い、その上気軽に南北問題につなげて南北関係全体を戯画化させるとは、第一野党の看板に恥ずべき発言である。
ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)総裁は、これまでもずっと南北の和解と協力という叢論においては賛成し、それを成し遂げる過程における各論では野党として牽制と批判を行なうしかないと主張している。道理にかなった主張だ。ただひとつ、どのような牽制であり、またどのような批判であるのかが重要なのである。しかし、党の核心人物である事務総長の水準がこの程度であるのに、ハンナラ党でまともな批判がなされるのか心配される。李総裁は歴史に対し悩み、時代に対してまともな発言のできる新人物を忠臣として隣に置くべきだろう。