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[社説] 授業を空けて何の集会か

Posted October. 25, 2000 18:03,   

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教師が授業中に学校を空けることは、軍人が戦場を空けることと同じで本分を忘れたことである。先日全教組が、学校の授業がある平日の昼に大規模な場外集会を強行し、これにより一部の学校で授業に穴が空いたことは、どんな理由にせよ弁明の余地はない。

教師の相当数が学校を抜け出した後、児童・生徒達は該当教師の授業時間に自習をしたり、普段より早く家に帰るしかなかった。修能試験(日本のセンター試験のようなもの)を目の前に控えた高校3年生たちの場合、重要な時期に自分達をほったらかしにしたまま集会に参加した教師達に対して、残念な気持ちを露わにしていたそうだ。

今回の授業空白は、昨年7月に教員労組が公式出発して以来初めて起こった事態で、深刻に受け止めるしかない。教員労組活動は今まさに始まったばかりで、落ち着く過程であり、ある程度の試行錯誤はあるかもしれない。しかし、教員労組の活動にはどこまでも一定の限界があることを教師達は忘れてはならない。教育の第一線を任されている点で、一般労働者とは明らかに性格が違うからだ。

教師達はこの日の集会参加に対して休暇申請を出したので、問題はないと主張している。しかし彼らが集会日程を平日に決めたことや、集団で学校を空けたことは最低限の職業倫理面で道理にかなり外れるものだ。今回の事態を契機に、教員労組の闘争方法にも最低限の原則が守られる必要がある。例えば授業と重なる時間には集会を行わないということである。

このような常識的なルールが設定されないなら、今回のような授業空白事態はいつでも再び起こり得る。それは教員労組が意図しようが意図しまいが、児童・生徒をないがしろにした闘争だという非難を免れられない。

今回の事態によって結局、児童・生徒達だけが被害に遭ったことになる。教育政策を実行する時に最優先し

なければならないのは誰か。それは教師でも教育当局でもない、児童・生徒だ。今回の事態は我が国の教育が未だに、需要者である児童・生徒中心に転換されていてないことを示してくれた。

今回の事態を招いた根本的な原因も考えなければならない。全教祖との団体協約履行など、しなければならないことをずるずると延ばしてきた教育省の責任が少なくない。教育省はこのような反省を土台に、積極的な対話を通して一日も早く妥協点を見出さなければならない。