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記録文化 政策の問題点

Posted December. 04, 2000 11:24,   

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朝鮮時代の第2代君主ジョンジョンが経筵(御前で経書を講義する席)のために本を読んでいたところであった。史官と内侍が騒がしく撃毬(馬に乗って行なうボール遊びの一種)をする音がして自分もしたくなった。君主は御前に入侍していた史官の顔色を伺いながら聞いた。「撃毬していることも史草に書くのか?」「当然書くべきでございます」君主は何も言わずに読書に励んだ。朝鮮王朝実録を誕生させた祖先の優れた記録文化の伝統を伺わせる一話である。

今の時代も記録は重要である。特に、政権が変わっても統治の記録は残っているべきである。しかし、我々はそうではなかった。20世紀の混乱の最中でも開花した記録文化の伝統が‘失踪’してしまった。政府は昨年、記録物管理法を制定した。公共機関の記録物の管理を義務化したこの法は、こうした伝統を復活させるという意味から関心を集めた。

最近、行政自治省がこの法の施行令の改正作業を進める過程で‘異常な’動きが感じ取られ、学界が反発している。代表的なのが、政策決定と関連した会議録を作成する際に‘発言の内容’を書くことから一歩後退して‘発言の要旨’に代替しても良いとしたことである。学界では‘全体発言’ではない‘要旨’しか書かない会議録は、むしろ無い方が増しだとの声が高い。正確な発言の内容について分からなくなるからである。ある学者は「汚職などの問題が発生した際に責任を免れるための試みとしか思えない」と興奮したりもした。

政府は記録学の修士号の所持者で限られた記録物管理専門要員の資格条件も緩和して、公務員出身も一定の過程さえ踏めば可能にする計画だ。

同法が制定された後、専門研究機関として出帆した国家記録研究院側はこの話を聞いて、開いた口が塞がらない状態だ。現在、専門要員として教育を受けている人々は修士号の所持者なのに、資格条件が緩和されれば誰が専門要員を志望するようになるかと抗弁する。今回の法の改正は公務員に退職後の働き口を与えるためでのことではないかとの話である。

過去のことを記録して反省することは、言ってみれば全ての文化行為の基本であろう。学問や文化というものは、こんな過程を経ながら少しずつ進歩するのではないか。記録文化は小さなことではあるが、これは決して些細な問題ではない。