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[光化門にて]「丸刈りの女性歌手」はいけない

[光化門にて]「丸刈りの女性歌手」はいけない

Posted December. 15, 2000 11:20,   

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「丸刈りの女性歌手」という演劇がある。舞台に丸刈り頭の女性歌手の登場を期待していた観客は失望する。そう言う奇形な姿の俳優は最後まで登場しないからだ。

「ゴードを待ちながら」という演劇も忍耐が必要な演劇だ。ゴードという人物を待っている二人が無意味な話をするという内容である。台詞の内容も脈絡の通じない話しばかりだ。幾らまっても最後までゴードは現われない。

これらはみなフランスで一時注目された‘不条理劇’である。既存の理性体系ではとても理解し難い不条理な世界の表現を試みた。

最近の韓国経済を見ていると、まるで不条理劇を見ているような気がしてならない。経済専門家らは「韓国経済が回生するためには、構造調整をしきりに行うべきだ」と主張している。政府関係者は、「金融・企業・公共・労働など4大分野の改革を計画通り推進する」と張り切っている。

しかし、このような美辞麗句は、現実の分厚い壁を前にして、力なくしぼんでしまう。「構造調整」という聞きごこちの良い言葉で包装してあるが、「組織と職員縮減」が主な内容である。つまり、職場を失う人たちは抵抗するはずである。銀行、乱脈企業、公企業、政府組織ともに「構造調整」という言葉には、皆敏感に反応している。彼らを説得せずに構造調整は成功できない。

外為危機の直後、構造調整は避けられない運命のように思われた。しかし、今は少しばかり事情が違う。政府は、すでに1年前「IMF(国際通貨基金)の管理体制を卒業した」として、シャンパンを開けた。公的資金を持って乱脈銀行を立て直した。「企業構造改善」という傘のもとに入った乱脈企業らは、銀行の支援で命を長らえた。集団利己主義は、リーダーシップのない政府を圧迫した。大衆の人気に迎合するポピュリズム方式の政策があちこちで現れている。「苦痛の分担」という美徳は無くなりはじめている。

政策責任者の発言は、不条理劇の台詞のように国民には理解できない。国民は不安になると、緊縮しはじめた。消費が減ると、物が売れなくなり商人らは泣きっ面だ。商品を作っている企業も在庫が増えると、従業員を減らす考えをしている。また、来年の投資計画は立てず、現金で持っている。悲観論は未来を一層暗くしている。

どうすればこの悪循環の輪を断ち切れるのだろうか。国政を主導する指導層の言行から明瞭になるべきだ。経済論理にも合わない無理な政治的要求を、‘民心’という名目で経済チームに任せてはいけない。人気ばかり認識するような政策は止めるべきだ。今日は「改革を加速化せよ」と要求し、明日は「無理な構造調整はいけない」というような、つじつまの合わない発言をしては困る。

韓国経済がトンネルを抜けるためには、構造調整という‘成人式’が必要だ。その時期はこれからの6ヶ月である。

患者が痛みを怖れ手術を拒否しても、医師は命を救うためにはメスを入れるしかない。もちろん適時に手術をすれば完治できるという希望とともに・・・。これ以上あいまいな不条理劇は御免だ。



cheer@donga.com