政府がノーベル平和賞を授賞して帰国する金大中大統領を歓迎するために、仕事中の公務員を街に動員したのは、時代の流れを逆さにした情けないものである。そういう発想をした旧時代的な官僚や世界的な賞を受賞して帰国する大統領にとってそれぐらいの歓迎は当然なもののように思えたかも知れない。あるいは官僚としての本能的な行動かもしれない。
しかし、そのような過剰な忠誠は結局大統領を辱め、ノーベル賞受賞の意味を地に落してしまう。より本質的に懸念されるものは、このような時代錯誤的意識が政府の高位官僚の頭の中で巡らされる限り、改革はいつまでも口先だけのもので終わるだろうという事だ。
もちろん国民が大統領のノーベル賞の受賞を祝うのは望ましい事である。しかし、祝賀の気持ちは心の中から自然と醸し出されるものでなければならない。そこに強制の力が介入すると、祝おうとしていた人も止めたくなるのが、人間の本能である。
しかし、先日教育省とソウル市の公務員らは、テグッキ(太極旗・韓国の国旗)を手にして、街に出なければならなかった。それも仕事の最中にである。特に、ソウル市の場合、沿道の歓迎者を動員するために、市の行政自治局長の主宰で各区役所の担当局長を招集し、区別に200人ずつ呼び出し、ソウル市庁と大統領官邸から近いジョンロ(鐘路)区やチュン(中)区では、人数の制限無しにできるだけ多くを呼びだそうと言う内容の対策会議まで開いたそうだ。それに公務員の中で後で不平不満をならべない自信のある者だけ参加するようにという条件をつけたものであるとし、強制的に行ったのではないと話している。一体、私たちはどんな時代を生きているのだろうか。
そうした方法で1万5000人余りの人数を動員し、大統領を歓迎した結果、市の公務員と市民の非難を受けているのだから、まさに大統領を辱めたに変わりない。
与党・新千年民主党所属の一部の議員らは、国会常任委員会の会議の最中、大統領を迎えるために会議場を離れ、ソウル空港に向かったと言うから、強制動員された公務員よりももっと情けないと言えよう。国会議員は国会を守るべきだという金大統領の持論を守ってないわけだから、彼らもやはり大統領を辱めたのである。
改革は大袈裟なことではない。皆、自分の所属している場を守り、自分の仕事をきちんと遣りこなす事こそ、改革の基本である。金大統領への歓迎の熱気が高まらなかったとすれば、それが国民の心の現われだと言う事を受け入れるべきだ。公務員を動員するからといって、民心が変わるのではない。かえって悪化するばかりだ。国政刷新は、このような古びた意識を正す事から始まるべきだ。