Go to contents

[記者の目] 権力とメディア

Posted December. 15, 2000 12:58,   

한국어

トーマス・ジェファーソンは自由言論を熱烈に支持した米国の大統領として知られている。彼が大統領になる前だった1787年に友だちに送った手紙に書かれていた一行は、現在までも言論の自由においてバイブルのように伝わる。「もし新聞のない政府と政府のない新聞との中でどれが選びたいかと聞かれたら、私はその場で政府のない新聞を選ぶだろう」。教科書にも載った彼のこの言葉は余りにも魅力的なので、米国の多くの新聞社が額に入れて壁にかけておくほどだ。

△では、ジェファーソンは大統領になってからも最後までその精神でメディアを擁護しただろうか。必ずしもそうではなかったようだ。自分を批判する言論人を非難しながら監獄に入れるべきだとの主張もしたのだ。大統領になった後、自分の政策に対して新聞が痛烈な批判を加えると、こうした文章まで書いた。「国民が新聞に掲載される記事は信じるべきものがないと嘆く。新聞は信頼を取り戻さねばならない。我々が法を厳格に適用すれば信頼は回復するはずだ。目立つ違反者らを法に基づいて処理すれば言論が本来の在り方を取り戻すだろう」。

△権力と言論の関係を言うときによく引用されるエピソードである。理論的に、いや、それより重要な信念的に言論の自由を主張する人でさえ、自分を批判する言論には敵対感を感じ、ひどい場合は、抹殺してしまおうとすることは驚くべきことでもないようだ。よって、一国に言論の自由があるか否かはその国が民主主義か否かを決定する肝心なモノサシとして働く。実際、言論を統制せずに言いたいことを全部言わせるよう傍観した独裁者は今まで存在しなかった。

△ハンナラ党の李會昌(イ・フェチャン)総裁の大統領選挙での勝利のために作成した文書が一昨日公開された。相手の政治上の弱点を積極的に掘り出して活用せよ、という‘ネガティブ性が濃厚な戦略の駆使’を提案したのも問題だが、言論対策と書いてあった部分は嫌悪感すら抱いてしまう。「敵対的な論説執筆陣の不正など問題点のある資料は残さず集め、友好的な言論グループは組織化せよ」という勧告は、ムチとニンジンを問わないあらゆる手段を動員してメディアを掌握しろとの意味と何ら変わりがない。言論の自由を主張した人も政権の座につくと豹変しやすいものなのに、早くから言論工作を企んでいる。嘆かわしい世相だ。