
米国の大統領選挙は、米民主主義が全世界の見習うべき民主主義体制だと信じてきた人々をがっかりさせてしまった。民主主体制は、一党独裁や一党支配体制、間接民主主義体制、そして直接民主主義体制などの3つに分けられる。どんな形であれ、有権者一人一人の選挙権と被選挙権が制限されるか無視される制度は民主主義とは言えるまい。このほどの米国の大統領選挙は民主主義の原則との見方からすれば、2つの弱点を露呈するものだった。
第一に、二重的な間接民主主義制度である点だ。有権者が大統領を直接選ぶのではなく、選挙人を通じて選出するためである。その上、州単位で選挙人団を選び、その選挙人団は自分の州で最多数の票を得た候補に賛成票を投じることになっているため、全国的な最多数の得票者が落選する可能性がある。ところが選挙人は法的に自分の所属している州の多数の意志を無視することができないため、国民の意思と選挙人の意志が衝突しかねない。一方、選挙人の過半数を得た候補がいない場合は、下院が大統領を選ぶことになっているが、下院議員は州単位で投票をするため、国民の意思が反映されるしかない。
より問題になるのは、二重的な選挙制度が民主主義思想に相反するエリート主義(大衆不信主義)に基づいていることである。つまり、米国の建国指導者らが憲法を制定する祭、民衆は愚かなので彼らが直接国家の最高統治者を選ぶのは危険極まることだとの考え方からこのような制度を導入したのだ。
選挙制度が複雑な理由は、米国が連邦国家であるため、選挙が州単位で行なわれるためである。したがって、選挙の手続きが一層複雑になる上、画一的な開票手続きと方法は採択しにくくなる。直接選挙制度を導入すれば問題が解消できるかもしれない。が、米国は過去のイブツを守り続けている。
今回の大統領選挙をきっかけにして、米国と他の民主主義諸国は次のようなことを考慮する必要がある。まず、米民主主義は未だに発展の途上にあるとの事実である。したがって、米国は世界化、脱冷戦、民主化時代に相応するように政治制度を改革して世界のカガミにならねばならない。米国は、脱冷戦時代には軍事力だけでは世界の指導国としての地位が維持できないため、いわゆる`柔らかな力(文化的な影響力)’が世界指導力の重要な要素になるべきだと主張してきた。柔らかな力とは米国の大衆文化のみによるものではなく、米民主主義の思想と道徳観に基づいている。もし、米国が米民主主義は完璧で、他国の民主主義には弱点があると主張するなら誰が米国を信頼するであろうか。
また、民主主義諸国は、「どんな民主主義制度が最も主権在民の原則に相応しく、民主主義がいかに人権をうまく保障できるかを絶えず研究・検討し、民主主義制度を発展させて行くべきだ。主権在民の思想を具現化するためには、全国民が平等な参政権を持つようにすることと、1人1票主義を100パーセント保障することが先決されるべきである。
この条件を満たさない民主主義は真の民主主義とは言えないはずだ。