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金正日総書記、なぜ上海へ

Posted January. 17, 2001 12:27,   

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中国を訪問している金正日(キム・ジョンイル)朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)総書記の訪問先に中国の代表的な対外開放地域の上海と広東城深が含まれ、今回の訪中が北朝鮮の積極的改革開放の前奏曲ではないかと見込まれている。

金総書記は、昨年5月、訪中の際には‘中国のシリコンバレー'と呼ばれる北京の中関村一帯を視察しただけで、上海など沿海発展地域は訪問しなかった。

よく知られているとおり、上海は1990年に特別開発区として指定されて以来、毎年10%以上の急成長を繰り返し、中国改革開放政策のシンボルとなった。これまで10年間、外国企業が上海に投資した金額は6500件、320億ドルもある。特に浦東地区は45の外国銀行を含め、300余りの多国籍企業が進出した。シンセンは1980年に4大特別地区に指定され、僅か20年で静かな漁村から香港を脅かす活気あふれる現代都市へと輝かしい成長をな成し遂げた。

北京の観測筋は、金総書記が北朝鮮の改革開放の方向を設定するため上海訪問を決定したようだ、と分析している。

北朝鮮は1984年9月、‘合営法'を制定、対外開放を試みたが、一部在日朝鮮人系企業との合営にとまり、大した成果を挙げられなかった。また、西欧との経済協力のため1991年12月には羅津先鋒地域を自由経済貿易地区に設定したが、これも失敗に終わった。羅津先鋒地区の指定は、中国の経済特区を真似したものだったが、1999年3月末まで1億4000万ドルの外資を誘致するにとどまった。

北朝鮮の核開発の疑惑などにより関係悪化と投資保障法規不充分などで西欧資本が進出を嫌ったためだ。

二つのケースで分かるように、北朝鮮はこれまで中国式改革開放を本格的に導入することをためらってきた。中国が成し遂げた経済成果も高く評価しなかった。

しかし、昨年5月、金総書記の訪中をきっかけに中国の改革開放を見る北朝鮮の態度が変わった。金総書記は、当時、江沢民国家主席及び朱鎔基総理と会った時、「中国の改革開放の成果を高く評価する」と話している。