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[コラム]「孔子論争」過剰な関心ではないのか

[コラム]「孔子論争」過剰な関心ではないのか

Posted March. 04, 2001 19:09,   

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論争はその時代の知的、文化的関心事を反映する。賛否両論が沸き起こるのはそれだけ敏感な関心事であることを意味する。世論の行方に神経を尖らせるしかないマスコミが論争に敏感なのはそのような面から当然なことである。

東亜日報は2月6日付けA17面、「キム・ユンシクーイ・インファ教授の師弟答弁」を通し、近代文学論争を行ったことがある。この論争によってベテラン評論家と新進の小説家の間の近代文学をめぐる多様な見解を聞くことができるいい機会が提供された。しかし、この対談が論争に見合うほどのはっきりした主張の差があったかは疑問である。これまで熾烈な論争を繰り広げてきた二人の間の直接的な意見の対立もなかったばかりか、公平に意見が噛み合った感じを受ける。かえって論争の形式を借りた、特定の人間の世代交代論に止まる危険があるように見える。

これに反して、2月12日付けA23面の深層リポート「漂流する乳幼児教育」シリーズの6回目の幼児教育法に関する、論争は時宜を得たものであったように思える。

このシリーズは幼児教育の改革という一貫した問題意識の下で、懸案に関する調整役としての役割を自認してきた。しかし幼児学会と保育学会の間の異見を紹介しているこの論争もやはり企画の意図と合っていないように見える。ただ具体的な細部事項に関する異見を調節する可能性より、多少原則的な問題を喚起させるのに止まったように思えて残念である。

時には論争はお互いの名誉を傷付けたり、社会的な波紋を起こすこともある。金容沃(キム・ヨンオク)教授のTV「論語」講義をめぐる攻防がそうである。他の媒体も同じであるが、東亜日報もやはり、TV講義を始めてから、問題の推移に大変な関心をよせてきた。特に2月14日付けA14面に、高麗大の徐之文(ソ・ジムン)教授の批判が載せられてから、一日おきにドオル(キム・ヨンオク教授)関連記事が報道されている。

2月22日付けA31面にキム・ヨンオク氏が自身の講義についての批判に対し、反駁する内容が掲載され、次いで24日付けB面には主婦イ・ギョンスク氏が書いたドオル批判書「老子を笑わせる男二人」に対する意見が載った。次いで26日付けA14面には論難を争点別に見直す分析記事まで出た。そして、ついには2日付けA18面「人物フォーカス」にはソ・ジムン教授が論語論争に火をつけた人物であるというタイトルで全面にわたって、紹介するというところまで至った。

はっきりとキム・ヨンオク氏の論語の講義をめぐった攻防は知識の大衆化と媒体的権力の問題を初めとして経典の権威と関連した解析学的難題をもう一度見直す契機になった。しかし、マスコミの過剰な関心がこのような問題を解決するのにどれだけ多くの手助けになったかについては疑わしい。かえって論争を扇った感じを受けるぐらい、興味本位の報道態度であったと批判を受けている。TV媒体が視聴者を惑わせている側面はないのか、自問してみるべきである。



朴銀仙(パク・ウンソ¥ン)記者 sunney73@donga.com