朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日(キム・ジョンイル)総書記のソウル答礼訪問と関連して、南北朝鮮が「平和宣言」を発表するための準備をしてきたことが明らかになった。しかし、金大中(キム・デジュン)大統領は先日の米国訪問の際、米国外交協会の午餐(ごさん)懇談会でこれを間接的に否認した上、特に平和協定は南北朝鮮と米国、中国などの韓国戦争参戦国の4ヶ国会談で論議されるべき問題であることを明確にした。
条約法に関したウィーン協約第2条1項は、国家間で行なわれた文書を通じた合意の場合、その名称とは関係なしに条約として定義している。従って、平和協定は勿論、平和宣言や韓国戦争の終戦後締結された停戦協定のいずれも、国際法の主体間に締結された条約の範疇に入ると言える。南北関係が通常の国家間の関係ではないとはいうものの、92年発効された南北基本合意書も、このような見方から条約の一種であることは否定できない。
最近になって、政府の積極的な対北包容政策の結果、南北関係が改善されるにつれ、朝鮮半島での冷戦構図の解体への努力と共に、「平和宣言」や「平和協定」との言葉がマスコミによく登場しているものの、その言葉の実態が何を意味し、既存の南北基本合意書とはいかなる相関関係を持つかについては、深みのある論議にまで至らないようだ。
先ず、平和協定とは、交戦当事国間で戦争の終了を宣布する条約を指す。韓国戦争の場合には、主要の交戦当事国であった南北朝鮮、米国、中国などの4ヶ国が平和協定を締結する国際法上の「当事者適格(locus standi)」を持つ。よって、米朝間でのみ平和協定を結ぼうとする従来の北朝鮮の主張は理にかなわないことである。
次に、名称が「平和協定」であれ、「平和宣言」であれ、そこにどんな内容を盛り込むかが重要になってくるが、残念ながら平和協定や平和宣言に盛り込まれる内容の大部分は、既に南北基本合意書に盛り込まれている。例えば、1970年代に締結されたベトナム平和協定(1973)、日中平和協定(1978)、中東平和協定(1979)などを見ると、相互不可侵、内政不干渉、互恵平等などの平和共存の原則と共に、国連憲章に基づいた紛争の平和的な解決、交戦当事国の軍事的な信頼構築を含めた双方の関係改善などがほぼ必須的に言及されている。これら内容は、既に南北基本合意書及びその付属合意書に詳細に記録されている。
従って、金総書記のソウル答礼訪問の際、新たに平和宣言を行なうとしても、既存の南北基本合意書の内容の枠を大きく越える画期的なものを盛り込むことは事実上難しく、また、そうする必要もないと筆者は考える。問題は、南北間でそういう宣言であれ、合意や協定であれ、似通った約束を繰り返す事が重要なのではなく、既に為されている既存の合意を段階的かつ持続的に守っていくことである。
その一例として「韓国と北朝鮮は民族構成員の自由な行き来と接触を実現する」とした基本合意書(第17条)上の約束が守られれば、1000万離散家族の恨みが無くなると同時に、この地球上に有一無二な冷戦の孤島として残されていた朝鮮半島に、真の意味での平和体制が到来することを知らせる契機になるに違いない。