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[社説]自由民主主義の明かりを灯し直して

[社説]自由民主主義の明かりを灯し直して

Posted April. 02, 2001 11:29,   

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ドンア(東亜)日報は昨日で創刊81周年を迎えた。これまで東亜日報が歩んできた道は韓国現代史に強いられたいばらの道そのものだった。日本の過酷な植民支配に一撃を加えた3・1運動の大切な種火を守るという一念で、その次の年から東亜日報は民族・民主・文化運動の旗を掲げて出航した。それ以降日本の植民支配のなか、国を失った民衆の精神的支えとして機能し、独立直後の左右闘争期には自由民主主義路線に立ち、大韓民国政府樹立の礎となり、建国以降は反独裁・民主化の明かりを灯しつつ、産業化と統一、そして国際平和の前途を照らすことに力を注いだ。

東亜日報はこのように民族の代表的正論誌としての位置を手にするまであらゆる束縛に苛まれてきた。植民地時代、日本が最も嫌う新聞だったため発行人が拘束され、4回にわたる無期停刊の末とうとう強制閉刊に追い込まれ、建国以降は独裁政権によって発行人から第一線の記者に至るまで連行・拘禁を繰り返し、マスコミ史上例のない白紙広告事態に直面したことや東亜放送を奪われたことまであった。しかし分に過ぎた国民の励ましによってそれらの過酷な圧制に耐えることができた。

▼国民の激励で圧制に対抗

だからといって暗く厳しい暴圧の時期にマスコミの任務を果たし終えたとは思っていない。栄辱の交錯する中、痛感の屈折も存在したことを率直に反省する。新しい世紀に初めて迎える創刊記念日を期に、新しく生まれ変わろうとする姿勢で自由民主主義を確かに守り、マスコミの正道を歩むことに渾身の努力を傾けるべく再三意を決するわけも、骨身にしみる自己反省と自己批判に基づくものだ。

ならば、新しく生まれ変わることに意を決した東亜日報の出発点は何であるべきなのか。それは創刊の日に民族の前で掲げた社是、つまり民族・民主・文化である。今日韓国社会を取り巻く時代の流れには民族の生存と民主主義の発展および文化主義の伸長を脅かす要素が紛れ込んでいる。まるで独立から3年間が左右理念の闘争の場へと変貌し、国民が思想の混乱に陥ったように、ここ数年の間出来上がった状況は第2の理念的葛藤の時代を連想させる。よって我々はより一層創刊社是の烽火を高く上げ、国が歩むべき道を灯そうとするのである。

我々は全ての判断の根拠が既に81年に掲げた民主主義、即ち自由民主主義であるべきだと信じている。これまで人類は新民主主義、人民民主主義、教導民主主義、民族民主主義、開発民主主義など、民主主義の仮面を被った似非民主主義の弊害と圧制を数多く経験しており、その歴史的実験を通じて自由民主主義以外の何物も真の民主主義ではなく、自由民主主義のみがまさに民主主義であるという教訓を得た。我が民族が目指す民族の平和統一も人権が徹底的に保障される自由民主主義が前提となってこそ価値を保ち、文化主義も多様性が尊ばれる自由民主主義と対を成してこそ生命を得る。

▼暴力—大衆迎合主義の排撃

国内外の学識者は新しい世紀を「自由民主主義のルネッサンス時代」であると見通している。「自由民主主義の新しい興隆」の元に、人間は個性と創意を十分発揮し、知識に基づく社会を築き上げ、経済の発展で福祉を増進し、平和を定着させるという確信が世界思潮の中心にある。

しかし韓国社会はどうなのか。民主主義の名を語る暴力的群衆路線と反議会的社会主義思想が、民主主義の形を借りた画一的平等主義と大衆迎合主義の理念が、そして民族を掲げた感傷主義的平和と統一観念が勢いづいているではないか。その上、自分だけが清く正しく、相手は不道徳や不義に満ちているという独善的な白黒論理のものさしで、相手が甚だ厳しい状況を克服してやっとの思いで築き上げた、またそれを通じて歴史と民族に寄与した業績さえも罵倒する破壊的運動が領域を拡大させているではないか。

▼いかなる圧力にも屈せず

このような流れから社会全般の綱紀が乱れることはもちろん、秩序が崩壊している。政府の国政運営もそうした雰囲気に呑まれ、法治主義と市場経済原理が姿を消し混乱が加速している。何も言わない多数の国民は国の明日に、次の世代の未来に対する確信を得られず、これこそ国家的危機の本質と言わざるをえない。

東亜日報は従って国家的危機解消のための第一歩を自由民主主義の確立から模索する。極右の論理も、極左の理念も退け、唯一自由民主主義を通じてのみ法治主義と市場経済原理を具現することで21世紀に国家の中興と民族の平和統一の一翼を担う。このような趣旨から東亜日報はいかなる外部からの圧力や中傷、懐柔に対しても堂々と向き合い、創刊社是の核心である自由民主主義の守護と発展のために不偏不党、是々非々の正論直筆をもって戦うことを約束する。