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[社説]「北朝鮮労働党幹部の寄稿知らなかった」

[社説]「北朝鮮労働党幹部の寄稿知らなかった」

Posted April. 12, 2001 11:10,   

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イム・ドンウォン(林東源)統一部長官は10日国会対政府質問の答弁で「独ミュンスタ大のソン・ドゥユル(宋斗律)教授が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治局候補委員」であると確認しながらも、ソン教授がハンギョレ新聞に数回にわたりコラムを寄稿したことは知らなかったと述べた。なぜそのような答弁をしたのかまったく理解に苦しむ。

周知の通り、ソン教授については97年に亡命したファン・ジャンヨブ(黄長鎏)氏が『北朝鮮の真実と虚偽』という著書で「北朝鮮の政治局候補委員であるキム・チョルスが他ならぬソン教授」だと既に記している。ソン教授はこのようなファン氏の主張に対し、「ドイツ国籍を持っている私が労働党員だなんて、でたらめな話だ」とソウル地裁に損害賠償請求訴訟をおこし、裁判が今も続いている。しかしソン教授は91年に北朝鮮社会科学院の招待で初めてピョンヤン(平壌)を訪問してから、キム・イルソン(金日成)主席と数回顔を合わせてきたと伝えられるなど、韓国情報機関にとって要注意人物だった事実は否めない。

国家情報院側は昨年の国政監査でも「ソン教授は間違いなく北朝鮮労働党政治局の候補委員だ」としながら、94年7月にはキム主席の葬儀委員名簿にまで名前があがっていると明らかにした。ソン教授は昨年「晩春統一賞」授賞式に参加するためソウル入りしようとしたが失敗に終わったこともある。イム長官はこの日の答弁でソン教授がキム・チョルスと同一人物であるのか、という質問に「我々の情報機関ではそのように判断しており、私もそうだと信じている」と述べた。イム長官はソン教授の入国問題もやはり国政院内部で論議されたことがあると明確に答えた。

そんな人の活動に関して情報機関で詳細に把握していなかったはずがない。にもかかわらず、彼のコラムが日刊新聞に載っていたことを知らなかったなんて、イム長官の答弁はまったく納得できない。ソン教授のコラムは1月5日から5回もハンギョレ新聞に掲載された。イム長官は半月前まで対北情報を収集分析し、政治的判断を下す国政院の最高責任者だった。

イム長官は現政権の対北政策遂行において中心的な役割を果たしてきたし、これからもそうしていく人だ。だからこそイム長官が国会で「知らぬ」とした答弁の意味が何のか、何か表立って言えない事情でもあるのか、胸中を探ってみたくなる。

イム長官は、単に答弁過程で勘違いしたならそれを誤るべきであり、もし違うならそのような答弁をした理由を明白にすべきだ。イム長官の解明を促すところだ。