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[コラム]「その当時」と今日

Posted April. 26, 2001 13:35,   

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映画『友だち』の人気は天を突くようだ。封切りして20日余りで観客400万人を突破する旋風を巻き起こしている。70、80年代の黒いツメ入りの学生服を着ていた学生時代への思い出や、現実の息苦しさを吹き飛ばす爆発的な画面、そして真の友情と義理への懐かしさなどが複合的に作用したと言えるだろう。その当時は、人によって個人的には美しい思い出も一杯あったかもしれないが、社会的には暗く苦しい記憶を残した時期である。

20年余りの過ぎた今日、その当時にしかなかったような出来事が、まるで白黒写真でも見ているかのように繰り広げられる。大宇自動車の労働者に対する警察の無差別な暴力鎮圧を撮ったビデオは、79年のYH事件(廃業に反発した女性工員らを暴力鎮圧した事件)か80年5月の光州(クァンジュ)のフィルムを見るような気にさせられる。

1970年代の産業化過程での疎外された貧民の人生を描いた小説「小人が投げた小さいボール」(趙世熙《チョウ・セヒ》作)がその当時のベストセラーだったとしたら、IMF時代の庶民の苦しい人生を描いた小説「モコの家に遊びに来る?」(李萬𨥉《イ・マンギョウ》作)は今日のベストセラーである。働き口がなくてさまよう血気旺盛な若者だけでも100万人を越えている社会、IMFという苦難のトンネルを経験しながら貧しい人はますます貧しくなり、金持ちはますます金持ちになる社会、自分の子供を自分の国で勉強させたくなくて外国へ離れる人々が増えつつある社会、こういう社会に希望の代わりに失望のみを与える政治は、その当時も今日も、形が異るだけで実状は同じではないか。

黒いサングラスをかけた機関員が正しいことを主張する言論人を逮捕して拷問したその当時の「南山《ナムサン》」と「西氷庫《ソビンゴ》」は、今は存在しない。その代わりに、「合法的」な口座追跡や税務調査、新聞告示で記者の背後を調べ言論社を弾圧する、それに迎合して物事を誘導する勢力までを動員した「言論改革」があるだけだ。

今日まで政権も数回変わって「国民の政府」に至ってはいるが、核心ポストは他ならぬその当時の彼らである。クーデター・維新・軍事政権当時に活躍していた張本人が共同与圏の代表になって何らかの「連合」をすると言って手を握った。彼らが国政を論議しており、国を導くと言う。改革の対象になるべき人物をリーダーとして押し立て、改革をすると主張する。しかしその改革がまともに行なわれるはずがない。

もっと滑稽なことは、「連合」のリーダーを自任するその当時の政治家の中では、自ら「キングメーカー」を自称する人さえ出ている。彼らがどんな権限で「キングメーカー」の役割を担っているかは分からないが、たとえその役割を担うとしてみよう。彼らの手によって作られた「キング」が21世紀のこの国を導くとしたら、この国は一体どこへ向うべきか心配だ。

50年ぶりに平和的な政権交代を成し遂げた民主政権が政治をうまく解決できない理由は何なのか。これについての正解の糸口を、最近久し振りに意見を述べた前職国務総理の言葉で伺うことができた。

「金泳三(キム・ヨンサン、YS)、金大中(キム・デジュン、DJ)両大統領は千辛万苦の民主化闘争の末大統領になったものの、政治圏の病弊は依然として根強い。結局のところ、両大統領の民主主義は政権獲得のためのスローガンの水準に止まっており、民主主義への深い理解と経綸があったのではなかったような気がする」

一生を民主化闘争に投身したと自負するお二人は、特にノーベル平和賞まで受賞した金大統領としては簡単に受け入れられない話であろう。が、80年の春、そして87年の大戦当時に、両金氏が執権への欲望のために民主化の力量を結集できずに分裂してしまい、それだけ民主化を遅らせた責任は免れ難いだろう。また、YSの3党連合と今回のDJの3党連合で、自分等が反民主・反改革勢力と非難した旧政治家と連帯したのは、一言で民主化の大きな流れに逆行する政略に過ぎないことだ。

民主化闘争の経歴は華やかではあるが、自らの政治の行い方は非常に権威主義的で独善的で、民主主義の本質とはかけ離れたリーダーシップの持ち主が両金氏であるのだ。故に彼らの掲げる改革には必ず限界がある。特に、政党民主化や政治改革が口先だけであることはまさしくそのためである。

金大統領がこれからでも謙虚な自己反省の上で批判者との腹を割った対話と討論、妥協と譲歩の精神に満ちた民主的なリーダーシップを発揮しなければ、今日の難局はそう簡単に解決できないだろう。



魚慶澤(オ・ギョンテク)論説室長 euhkt@donga.com