竹泉・李徳賢(イ トクヒョン、1566〜1645)が1624年、明を訪れる過程を記録したハングル筆写本「竹泉行録 写真」が発見された。当時、李の明訪問は仁祖反正(1623年)により王座についた仁祖の即位について、明から承認を得るためのものだった。
崇実(スンシル)大国文科のチョ キュイク教授は、6月初旬ソウル大で開かれる国語国文学学会において発表予定の論文「竹泉行録の使行、その文学的性格」の中で、「『竹泉行録』は現在伝わる使行録のうち、最も古いハングル使行録として知られている『湛軒(タムホン)燕行録』よりも120年先の最初のハングル本使行録」であると明らかにした。
チョ教授によると、「竹泉行録」は当時、李の随行員の一人だった軍官吏が記録したメモを下に李の家に出入りしていた許生(ホ セン)という人がまとめた記録である。
チョ教授は特に、漢文の使行録ではみられない使臣がお出ましする際の、その過程における細かい描写が現れているという点で「竹泉行録」の意義は大きいと強調する。「漢文で書かれた公式報告書ではみられない、朝鮮の使臣たちの屈辱的な様子がなまなましく描かれた使行録が発見されたのははじめてで、ハングル描写の文学的価値も高い」と主張する。
北京滞在中、朝鮮の使臣たちが侮辱される場面は当時の朝鮮と中国との関係を赤裸々に物語っている。「竹泉行録」には、李が道端にひれ伏して、出勤する中国官吏に文書を差し出している場面や、中国官吏が朝鮮使臣をからかいながら『皇帝の恩寵にお気づきか』と聞くと、李は『皇帝のご恩は全世界津々浦々に満ちている』といい忠誠を誓う恥辱的な光景も記録されている。
しかし、チョ教授の主張に対する反論もあり、「竹泉行録」の学術的な価値をめぐる議論が予想される。
チョ教授の論文を論評する予定の東国(ドングッ)大国文科の林基中(イム キジュン)教授は「李の燕行(中国行)に関するハングル本の使行録が公開されるのははじめてのことだが、『竹泉行録』が最初のハングル使行録ではない」と語る。既に、学界に知られたハングル使行録の「甲子水路朝天録」にしても李の使行が行われた1624年に書かれたものだという。チョ教授は「竹泉行録」の完成年を1947年頃と推定している。
また、林教授は「軍官吏のメモが漢文であった可能性も排除できない。その場合、『竹泉行録』は漢文のハングル翻訳本としての性格が濃くなる」とし、その価値には疑問を表した。さらに林教授は「朝鮮時代、対中国外交の凄惨な実情が赤裸々に語られた内容も、その他の使行録に叙述されているとおりなので、既に周知のこと」と指摘した。
「竹泉行録」の価値をめぐる議論は、学術大会においてさらに本格化する見通しだ。
金炯瓚 khc@donga.com