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儒教文化の宝庫、安東

Posted May. 09, 2001 18:18,   

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軒下から滴り落ちる雨音に、寂寞とした雰囲気が漂う。古びた階段を上り扉を開けると、そこには果てしなく広がる虚空ばかり。何百年もの歳月を耐えてきた楼閣前の虚空に、トキを忘れたかのごとく雨は降り続いた。

7日、慶尚北道安東(アンドン)市ソフ面台庄(テジャン)里の「安東金氏台庄斎舎」を訪れた時は、27代目の子孫にあたる金ヨンハン氏(68)が、夫人(コン・ケナン、66)とともに先祖の墓で番をしていた。

ここは、安東を起源とする金氏の始祖太師(テサ)金宣平(キム・ソンピョン)公の墓を守り、先祖の祭祀を執り行う奉祭(ボンジェ、奉祀ともいう)の場所(斎舎・ジェサ)として設けられた「安東金氏台庄斎舎」。朝鮮王朝第21代の王英祖(ヨンゾ、在位1724—76)の頃、子孫らによって建てられた。金宣平は、高麗王朝(918—1392)を開いた太祖王建(ワン・コン、在位918—943)が安東地方で、後百済国のキョン・フォン王と天下を賭けて決戦を繰り広げた際、王建を助けた功臣である。

金さんは「毎年、旧暦の10月10日になると、安東金氏一族の男子300人余りが集まって、頭にはカッと呼ばれる冠をかぶり、トポと呼ばれる礼服をまとって祭祀を執り行いますが、そのうち150人ぐらいがこちらで泊まります。ひと晩で牛半分くらいの肉が必要です」と静かに語る。

近くに「義城(ウィソン)金氏の鶴峯宗宅」がある。ソフ面クムケ里に位置しており、こちらは壬辰倭乱(文録・慶長の役)のさなか、義兵と官軍を指揮した鶴峯(ハッポン)金ソンイルの宗家である。観光客に母屋まで公開しているが、この家には宗家の一番上の孫にあたる宗孫の金シイン氏(85)が住んでいる。金氏に写真を撮ってもいいかと尋ねたところ、氏はかたくなに「写真を撮るには、トゥルマギ(男子の外出用上着)を着なければならない」と言いつつ、カメラを避けた。

最寄には、ハフェマウル(河回村)がある。ハフェ村は、壬辰倭乱時の名臣といわれた成龍(ユ・ソンリョン)の身内にあたる豊山(プンサン)ユ氏一族が代々住んでいるところ。ハフェ村の川辺でアイスクリームを売っているオジサンに尋ねると、豊山ユ氏(ユ・ヨンハ・65)という。ここには、遺跡地といたるところにユ氏一族の人々が暮らしている。

安東といえば、よくハフェ村と儒学の教育施設だった陶山(トサン)書院、ボンジョン寺などを思い出す。がしかし、この外にも安東金氏宗宅、儒学の大家である李退渓(イ・テゲ)の宗宅など多くの宗宅とビョンサン書院、花川(ファチョン)書院、ソクムン精舎、カンサン金氏イェアン派の遺跡地(オチョン遺跡地)など、数々の古建築物と遺跡地がある。安東市の文化財として指定された古建築物は、およそ170点であるが、指定されていない文化財級の建物も200点余りにのぼる。建築文化の年組織委員会は、安東を「韓国の建築紀行」の場所として選定したことがある。

安東ダムの近くには最近、KBSの人気大河ドラマ「太祖王建」の屋外撮影セットが設けられた。わら葺屋根の家々が並ぶこのセット場では、ドラマに出てくる庶民の暮らしぶりを撮る計画となっている。

安東市は、この屋外セット場の建設を機に、この一帯に大規模な古建築団地を造成する計画だそうだ。安東市一円にある文化財級建物で、指定を受けていない建物を、長期計画に基づいてこちらに移すというもの。

安東市は、慶州(キョンジュ)の新羅(シンラ)文化圏、公州(コンジュ)の百済(ペックチェ)文化圏に次いで、安東市一帯を「儒教文化圏」の観光地として開発する10ヶ年計画を昨年7月に樹立した。今年は事実上の施行元年にあたる。安東の古建築をはじめとする遺跡地と精神文化に重点を置いている。

安東市文化観光課のハ・ジェイン課長は、「遺跡の他に安東の隠れた伝統文化をお見せしようと苦心している」と述べた。そのために市では、安東の各種祭礼をそれぞれの家門の人々と協議して公開する案を進めている。



李元洪 bluesky@donga.com