連立与党(民主、自民、民国)の首脳陣の民心を汲み取る水準が今のよなものならば、それこそ「民盲」としか言いようがない。四季折々の美しさを楽しむ余裕もなく、切り詰めた暮らしを営んでいる国民の苦しい生活を少しでも理解している政治家であれば、先日のような豪華なゴルフ・パーティーは絶対に開かなかったはずだ。
至るところに希望よりは絶望の嘆きが鳴り響いている今の現実に対して、一抹の責任感を感じている政治指導者であれば、ゴルフで1000万ウォンを賭けた親善大会を行い、2千数百万ウォンのゴルフクラブをプレゼントされたという話しを、かくも平然と出来るはずはない。賞品として提供された外国製のゴルフクラブとゴルフシューズ、そしてジョニーウォーカー・ブルーという高級ウィスキー以外にも、数百万ウォンにのぼるゴルフ親善大会費用の出所に人々の関心は注がれている。
これまでの長い間、韓国政治の旧態に浸っていた彼らの経歴を見れば、そして、過ちを犯しても批難の声には耳も傾けずマイペースでいる金大中政権のこれまでの対応から、与党の首脳陣が「民盲」だったことは既に立証された事実なのかもしれない。
与党民主党が伝統的な支持基盤の全羅南・北道で敗北してしまった4月26日の再・補欠選挙は、彼らがゴルフの饗宴を開くわずか10日前の出来事だった。「憲政史に残る便法」の集団棄権劇で国民が冷笑した首相解任案の否決処理騒動から一週間も経っていない時だった。このような時に豪華なゴルフの饗宴を開いた政治家に、民心への理解を期待することこそ、木によりて魚を求むことである。
与党は、民心や批判の声に耳を傾けようとしているのではなく、議会主義を踏み躙る反則、便法、そして不法行為を日増しにバージョンアップしているばかりだ。新しい反則の技術を開発しているかのようだ。新しい法案の与党単独処理はもはや古典に当たる。昨年11月、パク・スンヨン検察総長に対する弾劾訴追案処理の際は、同じ党に属している国会議長の本会場入場さえも力ずくで防ぎ、訴追案を流すという新技法を披露した。議員の貸し借りも奇想天外な方法だったが、連立3党が見せつけた集団棄権劇は、奇抜なアイデアという側面で、今まで駆使してきたテクニックより遥かにレベルが高いと言える。今後はどんな新しい技が出てくるのか、楽しみさえも覚える。
新しい方法を開発し、野党を打ちのめす度に与党指導部は痛快だったろうが、そうしているうちに民心は遠ざかっていったという事実を忘れてはならない。与党は、なぜこのような批難の対象となる新技法の開発に熱中しているのだろうか。野党との戦いでどうしても勝ちたいという勝利至上主義への執念のためだ。
しかし最近、民主党の鄭大哲(チョン・デチョル)最高委員は反省に基づく苦言を呈した。「与党も票決で負けることがあるという余裕を持つべきだ」とした。今の与党は、負けることもあるという余裕どころか、負けたことすら分かっていない。目の前の小さな局面では勝ったとしても、全体の局面では負けた事実に気付いていない。更に残念な事は、与党は決して負けていないと言い張っていることだ。4月26日の再・補欠選挙の惨敗にしても、大統領府高官は、選挙結果を謙虚に受け止めるとしながらも「金大中(キム・デジュン)大統領の国政運営全般に対する民心の審判ではない」と主張している。
首相解任案を奇怪な方法で拒否したことについては「違法な行為ではない」と、むしろ平然としている。
全てにおいて勝とうとすると、人は余裕を無くしてしまう。政界から行き詰まりと閉塞感が感じられる。政治家も、そして政治を見つめる国民にもストレスがたまる。ストレスから解放するには、負ける術も覚えなければならない。「負ける子供に育てる運動」を繰り広げている韓国修養父母協会のパク・ヨンスク会長は言う。「負ける事を知らない人は、ストレスがたまり続ける」。「負ける子供に育てる運動」は、子供たちをストレスから解放させ幸せに過ごせるようにする運動なのだ。「負けることの余裕を体得した子供が、本当の勝利を味わえる人に成長する」ということだ。
ストレスを減らし、政界に余裕を持たせるには「負ける術を学ぶ運動」でも繰り広げるべきだ。金大統領が運動の先頭に立ち、その隣には、もう一人の負けを知らない政治家の李会昌(イ・フェチャン)ハンナラ党総裁が並べば、国民にかすかな希望を与えるかもしれない。そして、結局は二人とも勝ち組となり、ひいては国全体が勝利を得られる道に導いてくれることを国民は切に願っている。
嚴奇恩 euhkt@donga.com