「先生、もう一度お会い出来るものなら、あの時のあの玉子1袋をぜひお渡ししたいと思います。今なら、そのまま返したりはしないでしょうね?」。先生の日(5月15日)を控え童話作家イ・ドンリョル氏が約40年前、小学校3年の時の先生に宛てた手紙文の1節だ。親から渡された玉子1袋を持って、先生の自宅に向かったところ、先生は「お婆ちゃんのおかずにしなさい」という言葉と一緒に袋を返した。その幼年時代の思い出と先生に対する懐かしさを綴った手紙だ。
△小学校に通った時のことをかすかに覚えている人なら、誰もが持っている一つや二つの思い出。玉子やタバコなどつまらないお土産を片手に先生のところを訪れるが、恥ずかしさに顔を赤らめてしまう、という思い出だ。あの先生は今、どこで何をなさっているのだろう。お体は大丈夫なのだろうか。忙しいからといってご挨拶にも伺えないのは申し訳ないばかり。正しく生きることを教えられた先生方。その感謝の気持を忘れて生きられるはずはない。
△年に一度訪れる「先生の日」は、このような有り難い先生のご恩に少しでも報いるための日だ。卒業生は、今は退職した昔の先生のところに行く。同級生が一堂に会してレストランのような場所に先生を招くこともある。多くの学校では、音楽会や体育祭などを開き、先生方の胸に花を飾りその恩徳を称える。恵まれない退職教師や病床の先生を見舞い労うこともある。先生に手紙を書くイベントを通して、真の教育に対する意味を思い起こしたりもする。
△しかし、今年の先生の日は、微笑ましい光景ばかりではなさそうだ。多くの小学校は休みとなった。ソウルの場合、536校のうち40.3%の216校が休校となる。毎年、この時期になると持ちあがる「寸志問題」を未然に防ぐためだという。しかし、先生に対する感謝の気持を表し、師弟の絆を深めようと設けられた日に限って恩師と弟子が会えなくするこの世の中、殺伐すぎるではないか。どうして先生たちを見る目がこうも歪んでしまったのか、悲しくなる。厳しい環境の下、生徒のことを思い黙々と働いてきた大半の先生は、むしろ先生の日に心の傷を負いそうだ。