2002年韓日ワールドカップのリハーサル大会でもある、2001コンフィデレーションズカップ・サッカー大会が6日後に迫った。
大会の共同開催国である韓国と日本は、来年のワールドカップのバロメーターとなる今大会の運営成績に神経を尖らせている。韓国の高宗秀(コ・ジョンス)と日本の中田英寿。両国のサッカーを担う、2人のスターを見つめるファンの視線はいつよりも熱い。
韓国の「天才スター」高宗秀(23、水原三星=スウォンサムスン=)にとって、今回のコンフィデレーションズカップは、世界の舞台に挑戦する上での絶好のチャンスとなる。
世界最強のフランスをはじめ、メキシコ、オーストラリアなどの強豪を相手に好プレーを見せつけ、海外進出のための地盤を築こうという意気込みがうかがえる。
厳しさで定評のある巨匠、ヒディンク韓国代表チーム監督のもとで、誠実なプレーでレギュラーとしての位置を確固たるものとし、プロの舞台でも一段と成熟したプレーで、チームを2001年アディダスカップ優勝に導いた主役だった。心と体ともに準備は既に整った。最大の目標は、ワールドスターとして跳躍すること。
96年に錦湖(クムホ)高校を卒業し、プロの世界に飛び込み、所属チームの水原三星のMFとして活躍し、96年の正規リーグでチームを優勝に導き、99年にはプロ全冠王という偉業を達成せしめた。
しかし、厳密に言えば、彼は「井の中の蛙に過ぎなかった」という表現があてはまるかもしれない。98年、プロ最優秀選手(MVP)に選ばれ、代表チームにも加わったことで「これ以上目指すべきものはない」という自己満足に浸り、サッカー以外のことに過度な関心を持ちはじめ、現状に安住していたのが事実。そのためトレーニングが怠ったり負傷も増え、それ以上の発展が見られなかった。
しかし、最近になって新しい出だしを宣言した。帰省し、父(高ヨンオ氏)と母(金ギョンスン氏)と共に生活しながら自らを省みるようになり、海外に出て成功してみたい夢を持つに至った。コンフィデレーションズカップでは、世界のサッカー関係者たちに強い印象を残し、2002年ワールドカップが終わった後は、海外に進出しようという目標をたてた。
「待っていろ。俺が行く!」新しい目標に向かっての彼の決意は固い。
グラウンドを100%活用できる広い視野と、コンピュータのように正確で早いパス・・・。
世界最強のフランスがジ・ダンのサッカーであるとすれば、アジア最強の日本は中田英寿(23、イタリアASローマ)のサッカーだと言える。
日本サッカーの特徴は、プレーメーカーを中心に前後左右の攻守のラインが歯車のようにかみ合ってまわる「バランスサッカー」。中田を抜きにして今日の日本サッカーは語れない。
日本のファンが中田に熱狂している理由は何だろうか。日本の朝日新聞の中小路サッカー記者は「最後まで諦めない不屈の意志と、機知に富んだプレー、『脱アジア』に成功したスケールのため」と分析した。
6月、イタリアの1部リーグ、セリエAの対ユヴェントス戦は、この全てを説明するに足る。ユヴェントスのデル・ピエーロとジ・ダンに前半に2失点を許したASローマのカペロ監督が、大胆な「賭け」に出たのは後半10分。その間、見向きもしなかった中田を、キャプテンのトティと交代させた。中田はそれまでの鬱憤を晴らすかのように、後半34分、目の覚めるような30m中距離シュートを決め、ロスタイムにはモンテラの同点ゴールにつながる決定的なシュートを炸裂させた。カペロ監督の目の前で、アジアのプレイメーカーもジ・ダンにひけを取らない、とでも言いたげにグラウンドを駆け巡った。
日本サッカーの英雄として赴いた98年、中田はペルージャに移籍し、軌道に乗ったかに見えた。しかし、昨年ローマに籍を移した後はチームのレギュラー争いに敗れ、ベンチ入りとなった。しかし中田は望みを失わず、徹底的に自らを鍛え上げ、この日、ついに訪れた一度限りのチャンスを逃さなかった。
既にアジアサッカーの顔として成長した中田。彼は今大会が終わった後はイングランド・プロ1部、プレミア・リーグのアスナルに移籍し、より大きな目標を目指して夢を実膨らましている。
梁鍾久 yjongk@donga.com