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[foreigner`s view]韓国人、教育観を変えないと

[foreigner`s view]韓国人、教育観を変えないと

Posted May. 30, 2001 10:07,   

한국어

アメリカにいる韓国の友人は、最近ソウルの親から次のような電話をもらった。

「帰って来なくていいからアメリカで仕事を見つけなさい。子供たちを韓国人学校に行かせるなんて絶対考えるんじゃないよ。」

実際、韓国人生徒の読解力と数学の実力はアメリカ人のそれよりも高い。しかし、韓国の教育システムは一般人の期待水準をはるかに下回っている、という認識が広がりつつある。

この問題においてアメリカの経験からはいくつかの重要な教訓を得ることができる。けれども、究極的には韓国人自身が解決しなければならない問題だ。アメリカがすべての答を出してくれるわけにはいかないからだ。

韓国の社会で教育に対する一般人の期待と教育システムとの間に隔たりがみられる理由は明確だ。韓国人は教育に過剰な期待をかける。多くの場合、親は自分たちの子が成功するためには名門大学出のお墨付を手に入れるべき、と思い込んでいる。

親たちは、軍備競争さながらの教育費用の支出競争を繰り広げる。隣の子が4ヵ所の塾に通うなら、我が子は5ヵ所に通わせなければ、と思う。その結果、収入の半分以上が教育費として支出され、遊びの時間を奪われた子供の気持など考えない。

アメリカ人の目に映る韓国の親たちは、まるで物狂い寸前の人だ。入試のある日、韓国の母親たちが学校の正門前に立ち並び、我が子の試験がうまくいくよう祈る姿はアメリカなら極端な例として見なされるはずだ。

このような競争を止めたいと思う親は、費用はともかく子供を海外に留学させようとする。アメリカ留学を考えた場合、それは家族との断絶、あるいは幼い子供たちがセックスや麻薬、銃器などに露出されることを意味する。仮にうまく適応した子供たちの場合は韓国に帰ろうとしない、という問題が生じる。数ヵ月前、筆者はコロンビア大学法学部の韓国留学生6人と夕食を一緒にしたことがあった。彼らのうち、韓国に帰ると言っていたのは一人だけ。優秀な頭脳の海外流出は将来、韓国の前途に暗い影を落とすだろう。

韓国人が様々な費用と危険を冒してまで子供をアメリカに行かせようとする理由は一体なんだろうか。アメリカはいくつかの教訓を示すことができる。

まず一つ、アメリカでは暗記よりも批判的な考え方が強調される。韓国では想像しづらいかもしれないが、筆者は高校時代入試のため勉強した覚えは一度もない。アメリカではいくら教育熱心な親でも子供を注入式の塾に1週間に一回以上は通わせない。

二つ目、生徒はそれぞれの能力に合わせて教えるべきだ。能力も十人十色の生徒を1ヵ所に集めて教えろというのは、教師にとって悪夢同然だ。多くのアメリカ高校では、生徒の能力を基準に等差を付けた教育を提供している。筆者が通っていた高校では、勉強のできる生徒には近所の大学で受講することも認められた。このような教育システムが整っていさえすれば、課外授業の必要性は軽減するはずだ。

三つ目として、短期大学などの学生たちに4年制名門大学への編入を可能にする「2度目のチャンス」を与えるプログラムを作るべきだ。アメリカ教育の利点の一つは、高校時代の成績が芳しくなかった学生も名門大学の学位を取得できるということだ。筆者が通ったバークレー大学では正規新入生と同じく編入生も歓迎された。

しかし、アメリカも当面の教育危機に対する恐れは大きい。保守的なブッシュ大統領が総選挙期間中「どの子供も落ちこぼれないようにする」とし、教育財政の増額を公約として掲げたのは、アメリカの教育が基礎的なレベルにおいて失敗したことを表す。

アメリカでは数百万人の学生がまともな教育を受けられず取り残されている。アメリカの都市と郊外地域の学校との間における財政および学習成果の格差も日に日に広がっている。学校の財政は、地域住民の財産税によって決まるため常住人口の少ない都市学校は郊外地域に比べ極小額の支援を受けることになる。

突き詰めて言えば、教育改革を成功させるためには韓国人の教育観が変わらなければならない。これは、韓国の親たちに財布をおろし、教育費支出競争をやめるよう求めることになるだろう。

韓国人が教育に対してよりバランスの取れた見識を持たない限り、未来におけるすべての教育改革は大きく損なわれるか失敗のいずれになる。人生の成功は個人の能力にかかっているものであって、決して名門大学への進学に左右されない。韓国人は、これからどれくらい多くの学生を海外に送り出してから、この事に気付くのだろうか。

ピーター・ペック(米国、韓国経済研究院局長)