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[オピニオン]民主的経営にとらわれ、私学をだめにする?

[オピニオン]民主的経営にとらわれ、私学をだめにする?

Posted June. 25, 2001 10:39,   

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21世紀の知識情報化社会において国家と企業の競争力の源は、有形(目に見える)資産よりは無形(目に見えない)資産になると言われる。この無形資産は、教育から生み出される。しかし、韓国の教育実態は悲惨極まりない。小・中・高校の学級崩壊が進んでおり、大学の国際競争力も情けないほど、低いレベルに止まっている。教育の公共性に見合う経済的な責任を国が取れなかったのが、主な原因だと言える。

さらに、現在進められている私立学校関連法の改定案を見ると、教育機関の経営支配構造への理解が不足している政府と与党指導部が危険なカケに出ているような気さえする。私学の財政と支配構造の問題は、互いに関連している問題であり、政治哲学の不在によるものでもある。

教育産業は市場失敗(Market failure)の代表的な例である。というのは、教育は公共財の特性が強いため、需要が多くても市場ルールにのっとり、学費を引き上げることができない。

一方、伝統的な教育は労働集約的なサービス産業の色合いが濃く、生産性の向上が難しいという特性を持っている。したがって、良質の教育サービスを供給するには、生産性が向上する他の産業に比べ、費用の増加率が高くなるのはやむを得ない。結局、教育産業では赤字が避けられないのだ。赤字の不可欠性、これがまさに教育産業に内在している市場失敗の原因だ。

教育産業の市場失敗を改めるため、教育においては国が責任の保証を引き受けるというのが、世界各国の常識となっている政治哲学だ。高等教育も国・公立大学で担当するのが原則となっているため、私立大学は事実、例外的な存在だ。名門私立大学が例外的に多い米国でも学生の数を基準にすると、私立大学の割合はわずか20%に過ぎない。日本は私立大学の割合が75%を占めているきわめて例外的な国である。日本と米国は政府が私立大学財政の10〜20%を支援し、良質の教育を提供している。電気通信と視聴覚技術の発達で教育産業の生産性向上を図れる転機が作られ、先進諸国は競うように教育投資を増やしている。

韓国も日本とともに、私立大学の割合が75%を占めているごく例外的な国に当たる。しかし、韓国は私立大学財政における国の負担率がわずか3%に過ぎないないという点でも例外的な国だと言える。政治哲学の不在から来る大学教育の二つの例外が大学教育の政府失敗(government failure)現象で、教育水準の低下を招く主犯となっている。

教育の政府失敗は、私立学校の経営権に対する政府の行き過ぎた干渉にも見られる。私立大学の財政に対する政府負担率も低く、私立大学への寄与入学も認めていないが、私学に対する政府の干渉は世界最高のレベルである。もし、現在議論の対象となっている私立学校関連法の改定案が国会で成立すれば、政府の教育失敗は一層深まるに違いない。改定案の中心は、大学の教授会と小・中・高校の運営委員会を議決機関とし、財団理事会の経営権を事実上移譲するというものだ。

このような発想は、一方では不正をはたらいている一部の私学財団の横暴を防ぎ、もう一方では教育の民主化の実現を図ろうというわけだ。

しかし、経営の中心である自律と責任を担保とする支配構造の機能原理を理解すれば、改定案は改善よりは改悪であることが分かる。私学の不正問題は、学校の構成員と社会による監視の度合いを強められる経営透明性の向上で解決しなければならず、法の改定もこのような方向で推進されるべきだ。学校の重要な政策を決める時、構成員の世論を受け入れるのが重要であるため、参加的経営(participatory management)は望ましい。しかし、参加的経営と民主的経営とは異なるものであり、学校は民主的に経営できる組織ではない。したがって、私立学校関連法の改定案は全面的に見直されなければならない。

国民の教育熱は世界でもっとも高いが、小・中・高校の教育は崩壊しつつあり、世界100位以内の大学も皆無の状態にある。教育移民の増加がことの深刻さを物語っている。教育産業に内在している市場失敗は政府が改めなければならない。しかし、韓国の教育産業は、政府失敗のモデルケースだ。韓国の教育が失敗するとしたら、これはあくまでも政治指導者らの責任であろう。政治指導者らが教育に対する政治哲学を正しく確立するのが、私立学校の財政と経営支配構造の問題を賢明に解決できる先決課題だ。

パク・サンヨン(延世大教授・経営学)