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「ギルス君家族救命運動本部」の2年間の影の努力

「ギルス君家族救命運動本部」の2年間の影の努力

Posted June. 27, 2001 10:11,   

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チャン・ギルス君家族が国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所に亡命を申請したとの話が伝えられた26日午後。

ソウル市鍾路区(チョンロク)ネジャ洞にある「ギルス家族救命運動本部」で会ったファン・ジェイル幹事(28)は、少しうわずんだ声でギルス君家族が韓国に来れるように支援して欲しいと訴えた。

ギルス君家族の韓国行きのために救命運動本部が結成されたのは99年8月。

事業家のムン・クックファンさん(49)が、中国との貿易関連事業のために訪問した延辺で偶然に会った橋胞のチェさん(44)から彼らの痛々しい事情を聞いてからだ。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を脱出した人を表に出したら危険に晒されるのではないかという指摘もあったが、「広く知らせる」しか彼らを救う術はないと判断し救命運動本部を発足させた。

その後、ムンさんは中国を毎月一回訪問し、国内で募金した彼ら家族の生計支援金などを渡した。高麗大学のキム・ドンキュ(北朝鮮学科)教授もやはり運動本部の代表を勤め、マスコミ報道、絵画展示活動の広報などを助けた。

ファン幹事は、「公安当局の監視が厳しくなったり生計が苦しくなる度にギルスが電話をかけてきた」と言い、「最善を尽くすという話をするだけで本当は何も出来ないということが情けなくて何度も泣いた」と告白した。

救命運動本部の運営では困難も多かった。99年10月、「99年ソウルNGO世界大会」の時の逸話。大会出品申請の時期を逃し、会場に行って許可を得ず絵を展示したら大会関係者に撤退を要求された。

ムンさんは、「『自由な鶴がうらやましい』というメッセージと共に描いたギルス君の『松と鶴』の絵は、正式の出品作ではなかったので結局大会の片隅に展示した」と言い、「しかし、その絵が反響を得て脱北者に対する公論を導き出すきっかけとなった」と振り返った。

ギルス君家族の話と脱北者の惨状は、昨年5月と10月に米国の時事週刊誌ニュースウィークと英国のチャンネル4、テレビチャンネルなどに紹介され、海外でも大きな反響を呼び起こした。

しかし、彼らの韓国亡命が実現するにはまだ遠い。

「今や監視もさらに厳しくなり、これ以上の支援が不可能な状態です。残りの希望は国連機関と人道主義精神に訴えることのみです」。



credo@donga.com