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[オピニオン]難民とナンセン

Posted June. 27, 2001 10:11,   

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祖国を離れて帰れずにいる難民問題に全世界が頭を悩ませている。北京の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からの越境者家族のように刑罰の刃を光らせて待ち受けている故郷を避けて、異国をさまよう人々は全世界に2200万人を数える。政治的、宗教的、人種的、思想的な理由で迫害から逃れてきた避難民もしくは亡命者たち。このような境遇の人々を助けるために国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の歴史は80年を超える。国連の前身である国際連盟の時代から、難民問題は20世紀の大きな関心事だった。

◆国際連盟が最初の弁務官として任命したのはノルウェーの探検家、フリチョフ・ナンセン(1861−1930)。ナンセンは若い頃動物学を学んだが、後に海洋探検に没頭するようになった。グリーンランドや北極海を横断する幾度もの、命をかけた冒険は多くの探検家を驚かせた。彼は極地探検の際、冬を越すために石で建てた小屋にセイウチの皮で屋根を覆い、その中で冬ごもりをしたこともある。その間鯨の油を燃料に火をくべて、セイウチの肉を食糧に飢えをしのいだ。

◆ナンセンは背水の陣を布いて、退路のない探検で名を馳せた。こうした超人的な精神力が、それこそ「辛うじて体を支えている」難民を助け、国際政治外交分野という未踏の地でしっかりと足を踏ん張って立ちそびえる原動力となったのだろうか。探検英雄となった彼は、ノルウェーの初のロンドン駐在大使に任命された。そして、1920年、国際連盟の第1回目の会議で、ノルウェー代表として国際舞台にデビューした。そこでナンセンは、ロシアに抑留されているヨーロッパの戦争捕虜約50万人を釈放させる弁務官となって交渉テーブルにつき、優れた交渉力を発揮して捕虜の釈放を成功的に成し遂げた。

◆ナンセンは、難民のための身元証明を提唱し、国際協約を引き出すのに成功した。これが難民の命綱に等しい、かの「ナンセン・パスポート」である。こうした功労が認められて、ナンセンは22年ノーベル平和賞を受賞する。だが、難民問題が解決されたわけではない。第二次世界大戦を経て難民はさらに増え、51年の難民条約のような救済措置が設けられても、彼らの境遇は惨めなものでしかなかった。21日は折りしも国連が決めた第1回「世界難民の日」だった。解決はおろか日増しに増大する世界の難民問題を見守りながら、21世紀のナンセンを夢見る。単なる夢に過ぎないとしても。



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