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【金曜フォーラム】科学は博物館で培われる

【金曜フォーラム】科学は博物館で培われる

Posted July. 27, 2001 08:38,   

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「一つの試験管が全世界を動かす。科学の勝利者はすべてにおいての勝者だ。科学の大衆化運動を促そう」。

これは1934年4月19日、韓国が定めた「科学の日」のキャッチフレーズだ。

当時ソウルには、およそ800人の市民が参加した中、記念式が盛大に執り行われ、その年の7月5日には、「科学知識普及会」が呂運亨(ヨ・ウンヒョン)、宋鎭禹 (ソン・ジンウ)、金性洙(キム・ソンス)、金活蘭 (キム・ファルラン)ら、民族の指導者約100人が参加した中で結成された。「科学知識普及会」は発明学会が運営していた「科学朝鮮」を買収し、地方講演会を通じて朝鮮の科学大衆化運動を繰り広げた。

これに先立ち、1920年4月29日付けに掲載された東亜(トンア)日報の社説には、「科学を発達させるには旺盛な探究心、冷静かつ客観的な姿勢、帰納的アプローチ、実験、一般社会の学者に対する優遇などが必要だ。それはすなわち、新時代を迎えた我が朝鮮は、第一線の学校で、数学、物理や化学、そして知識を広く集められる外国語教育にさらに力を入れて・・・」と書かれている。

最近、一連の科学大衆化運動が起きている。2年前に李龍水(イ・ヨンス)博士が識者を中心に科学読書アカデミー運動を行ったが、近頃は金壽煥(キム・スファン)枢機卿をはじめ、科学技術部長官が先頭に立って、「サイエンスブック・スタート運動」を展開し、さらに浦項(ポハン)工科大学の基礎科学文化フォーラムが「国民を思う科学技術国民大討論会」を開いた。

過去、朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代に、「全国民の科学化」やその後の「科学技術に対する国民のコンセンサス」がなかったわけではないが、「科学の日」が定められて以来、本格的に運動が進められたのは約60年ぶりのことになる。

何はともあれ、その間の運動はこれと言った実を結べずにうやむやになってしまった。もはや科学の大衆化や国民の科学化の方法論を改めて見直すべき時点に来ているようだ。

事実、その間の科学の大衆化は主にマスコミ、講演会、読書、そして特別イベントを中心に行われてきた。

しかし、どれも実際に見て、触って、実験する体験的な科学行為とはかけ離れたものだった。その上、一定の常設施設で行われたのではなく、一過性に過ぎなかった。こうした段階をワンステップ高くして、より直接的で、実質的に参加できる代案を考える時ではないだろうか。

その答えはまさに、自然と科学技術に関する博物館だ。博物館では科学的な研究過程とその結果、そして技術的な発明と発見などを展示と教育を通じて大衆に広め、これらが人間と環境に及ぼす影響と価値を改めて見直す機会を与えることで、歩んでいく未来を選択できるように手助けをする。

その過程で、自然がどれだけ美しいか、その自然がどう絶妙に機能しているのか、その機能によって地球の構成要素がどれだけ密接に関わっていくのかを知らせることができる。

さらに重要なことは科学が神秘と伝説ではなく、各自が体験し、だれでもできる普通の能力であることを理解することができるということである。さらに意義深いのは、こうした博物館はまさに知識と情報の生産現場、教育現場であり、ここでインスピレーションを得て自由に想像できる創造的なアイデアの現場だということだ。つまり、大衆と科学の接点であり、科学大衆化の現場である。

米ワシントンに位置する国立自然史博物館には、今年もおよそ1000万人の観覧客が詰め掛けた。シカゴの有名な科学産業博物館が初めて設立されたのは、実業家のジューリアス・ローゼンワールドが1911年に幼い息子を連れてドイツ・ミュンヘンのドイツ博物館を見学していたところ、息子が夢中になった余り一行とはぐれたことも知らずに見学したというエピソードがきっかけとなった。

その後、1933年に開館されたこの博物館には、今も年間300万人もの観光客が訪れる名所であり、教師は学校に戻ることも忘れて科学遊びに夢中になっている生徒たちを探すのに一苦労しているという。

こうした自然と科学技術博物館が隣国の日本だけでも400を超える。それに比べて、韓国は10個足らず。科学の大衆化を常設活動として定着させるために、私たちは何を先に考えなければならないのだろうか。科学博物館さえない「科学の大衆化」がむなしく響くのはなぜだろうか。私たちがこんなにも渇望するノーベル賞も国別の自然科学博物館の数に比例しているという事実に注目しなければならない。

李炳辴(イ・ビョンフン、全北大学生物化学教授)